2026年2月6日 イザヤ書58章
- hccnichigo
- 40 分前
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「精一杯大声で叫べ。角笛のように声をあげよ。わたしの民に彼らの背きを、ヤコブの家にその罪を告げよ。このわたしを、彼らは日ごとに求め、わたしの道を知ることを望んでいる。義を行い、神の定めを捨てたことのない国のように、彼らは正しいさばきをわたしに求め、神に近づくことを望んでいる。『なぜあなたは、私たちが断食したのに、ご覧にならず、自らを戒めたのに、認めてくださらないのですか。』
見よ。あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの労働者をみな、追い立てる。見よ。あなたはがたが断食をするのは、争いとけんかのためであり、不当に拳で殴るためだ。あなたがたが今のように断食するのでは、いと高き所に、その声は届かない。わたしの好む断食、人が自らを戒める日とは、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、粗布と灰を敷き広げることなのか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。
わたしの好む断食とはこれではないか。悪の束縛を解き、くびきの縄目をほどき、虐げられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見てこれに着せ、あなたの肉親を顧みることではないか。そのとき、あなたの光が暁のように輝き出て、あなたの回復は速やかに起こる。あなたの義はあなたの前を進み、主の栄光があなたのしんがりとなる。そのとき、あなたが呼ぶと主は答え、あなたが叫び求めると、『わたしはここにいる』と主は言う。もし、あなたの間から、くびきを除き去り、虐げの指をさすことや、邪悪なことばを取り去り、飢えた者に心を配り、苦しむ者の願いを満たすなら、あなたの光は闇の中に輝き上り、あなたの暗闇は真昼のようになる。主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは代々にわたる礎を築き直し、『破れを繕う者、通りを住めるように回復する者』と呼ばれる。もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとする。わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。―主の御口がそう語られる。」
主に仕えるふりをした民の偽善が厳しく戒められています。彼らの断食は、主が好まれるものではありませんでした。彼らは祈りや断食、そして礼拝に熱心ではありましたが、その実は自分の欲を追い、人を苦しめ、争いをしていました。主が好まれたのは不正な束縛を解き、圧迫されている者を自由にし、飢えた者にはパンを分け与え、家のない者を迎え入れ、裸の者に服を着せることでした。
主イエスもまた、同じことを言われました。空腹だった時に食べ物を与え、渇いていた時に飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた人こそ、神を愛する人であり、隣人を愛する人だと言われました(マタイ25:31–40)。
主は、誠実な信仰者が叫び求めるとき『わたしはここにいる』と答えてくださいます。全能であられる神は、真の信仰と偽りの信仰との違いを明らかにされるお方です。この章を通して、日々の生活そのものが礼拝となっているかどうか、今一度吟味することを教えていただきました。
祈り:愛する天のお父さま。どうか、私のすべての行動が、あなたへの礼拝となりますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって感謝してお祈りいたします。アーメン
文:アイゾン直子

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