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2025年9月24日 詩篇第142篇

  • hccnichigo
  • 9月24日
  • 読了時間: 2分

 詩篇142編は、「ダビデが洞窟にいたときに。祈り。」という表題が付けられています。ダビデは、サムエル記第一の22章と24章で2度、サウルの追跡から逃れて、それぞれ、アドラムの洞穴と、エン・ゲディの洞穴に身を潜めた様子を、聖書は語っています。


 ダビデの神への祈りの言葉は、表題を参考にすれば、詩篇138篇から145編まで続いていると見て取れます。これらの詩篇を通して読んでみると、この142編に至るまでのダビデの言葉は、まるで洞窟に逃げていくダビデの姿を表しているようにも聴くことができます。


 2節から3節には次のようにあります。「私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し 私の苦しみを御前に言い表します。私の霊が私のうちで衰え果てたときにも あなたは 私の道をよく知っておられます。


 ダビデがこの時感じていたのは、単なる体の疲れや、心の気分の落ち込みではなく、「私の霊が私のうちで衰え果てたとしても」ということです。このような表現は、138篇から続く言葉の中で、初めて出てきた表現です。すなわち、神に信頼すること、信仰によって歩むことを諦めてしまうことすら脳裏に浮かぶような境遇にあったと言えるかもしれません。


 しかし、そんな霊の衰えを感じずにはいられないような洞窟での時間の中で、ダビデは次のような祈りに導かれます。


あなたこそ私の避け所 生ける者の地での 私の受ける分。」(5節) 


 ダビデが今、実際に逃げ込んでいたのは、文字通りの洞窟でした。自分の周りを囲む洞窟の壁が、迫害する者から自分を隠して、一時的にでも守ってくれると考えたからでしょう。


 しかし、そんな自分を囲む洞窟を眺めながら、ダビデは、「あなたこそ私の避け所」であるという真理に目が開かれたのではないでしょうか。


 この142篇の祈りの後、143篇からは、「私の真の避け所」である主なる神に目が開かれていったダビデは、もう一度、神への賛美と祈りの言葉を語り始めます。それはまるで、ダビデが洞窟から出てきて、再び歩き始めた姿のようにも見えます。


 神は、洞窟の中に逃げ込み、霊の衰えを覚えるようなところを歩む私たちに、真の避け所であるご自身の姿を現してくださるお方です。そして、私たちの目が神に向かって開かれるように、御霊の力によって、心を柔らかくしてくださるお方です。

 

文:中川祐真


 
 
 

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