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2025年9月22日 詩篇第140篇

  • hccnichigo
  • 9月22日
  • 読了時間: 2分

『さばきを行う主』


 ダビデは、嫉妬したサウル王と部下たちに追われて、悪しき者の手から守って下さいと祈っています。それは主なる神が、苦しむ者の正しい訴えを聞き取り、裁きを行う方であることを知っていたからです。


ヘブル人への手紙9章27節「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」


コリント人への手紙 第二5章10節「私たちはみな、善であれ悪であれ。、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。


 私たちも、この闇の世において、暴虐を行う者、悪を働く者から、守って下さい。自分自身だけでなく、娘たちや孫たちを守って下さいと祈ります。わざわいからもお守り下さい。よこしまな人から守って下さい。私をつまずかせようとする者から守って下さい。 彼らの悪巧みを遂げさせないで下さい。


 そうして、主が信じる者の苦しみの訴えを聴いてくださることを信じるのです。しかし、この訴えは、自分が願っているタイミングでくだされるわけではないことも理解しましょう。


箴言20章22節「悪に報いてやろう」といってはならない。主を待ち望め。主があなたを救われる。」


ローマ人への手紙12章19節「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの わたしが報復する。」主がそう言われます。」


 主イエスは初臨の時には、私たちに恵みを与えるために、この世に降られました。そして、みことばを伝え、神の義を身をもって示されました。もしも、主イエスの十字架、贖いがこの地ではなくて、天で行われたとしたら、私たちには神の義を見て、体験することができなかったことでしょう。そうして、主イエスの再臨の時には、この義を信じる者たちは救われ、恵みを受けますが、信じない者たちは、その裁きを受けることになるのです。


祈り

わたしたちの主は、必ずもう一度戻って来られます。再臨される主は、もはや飼葉桶に包まれた、幼子として来られるのではなく、裁きの剣をもって来られるのです。信じる者たちは、主のもとに引き上げられますが、この世に残された者たちには、それぞれが裁きの座にたつことになることを覚え、多くの者が救われるように祈ります。アーメン 


 
 
 

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