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2025年11月28日 雅歌6章

  • hccnichigo
  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

 先の5章の終わり辺りで、花嫁が花婿を突然見失った時、エルサレムの娘たちが「あなたの愛する方は、ほかの愛人より何がすぐれているのですか。」(5:9)と花嫁に質問をします。それに対して花嫁は、花婿がどんなに素晴らしい方であるかと褒めたたえ、はっきりと「これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。」(5:16)と答えます。


 さて6章はその続きです。最初花嫁がなぜそんなに必死になって花婿を捜すのか理解できなかったイスラエルの娘たちさえも、上記の花嫁の説明を聞いて、心動かされて、いなくなった花婿を「いっしょに捜し」たいと思うようになったのです。


 ここに私たちのなすべき伝道のエッセンスが感じられます。私たちがイエス様を深く愛し、イエス様が私たちを深く愛していてくださるという関係にある時、他の人々に必然的にイエス様のことを、花嫁が花婿について語ったように、心からの愛の中から、確信をもって語らずにはおられなくなるのではないでしょうか。そしてイエス様を心から褒めたたえ礼拝するとき、それを見るノンクリスチャンでも、イエス様のことを知りたい、近づきたいと思うようになるのではないでしょうか。


 イエス様の花嫁である教会の一人一人が、そのような花嫁として、花婿であるイエス様を深く愛し褒めたたえることができれば、この世はもっともっとイエス様を知るようになるのではないでしょうか。


 そして花嫁が花婿を自分の庭で見つけた時、彼女は告白しました「私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。」(6:3)これと同じようなことを彼女は2章16節でも言っています。「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。」ここに花嫁の花婿への愛の成長を見ます。二つを照らし合わせると、順序が違います。以前は花婿は「私のもの」、今は私が「私の愛する方のもの」です。


 以前は「私」中心でした。相手に対して要求ばかりを並べて、自分を満たしてくれること、それが愛であると勘違いしていました。ところが、花婿を見失うという経験を通して、花婿に対する愛が深くなり、自己中心の愛が、相手を中心にして相手に服従する愛へと変わりました。


 私たちはキリストの花嫁として、主よ、いつもそばにいてください、いつも愛していてください、慰めてください、励ましてください、私の欲しいものをすぐ与えてくださいなど、イエス様に対して自分勝手な要求ばかり並べ立てていました。それがイエス様との愛の関係であると信じていました。しかし自分は花婿であるイエス様のもの、「あなたのもの」であると自覚した時、そこに真実の祝福と喜びを感じるのだと思います。


恵み深い天のお父さま、今日の御言葉を感謝します。「私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。」というみことばを心にとめて生きていきたいと思います。どうぞ私たちをあなたのご計画の通りお導きください。アーメン


 
 
 

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