2025年11月29日 雅歌第7章
- hccnichigo
- 1 日前
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ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことよ。(6)
花婿の花嫁に対する愛は1章から一貫してずっと変わらず、熱烈な愛を語っている。花嫁は最初の頃は、花婿から愛の言葉を受けながらも自分の外見を気にしていたり、自分も花婿への愛を表現していても、自分の都合で花婿を拒んで、その後慌てて探し回ってみたりと、愛に対して受け身で、不安定な印象だった。
そんな花嫁に、それでも花婿は花嫁の愛は、美しい、麗しいと心の底から喜んでいる。
今私は孫との時間を過ごしている。叩かれても、拒まれても孫への愛は変わらない。その孫が、自分の大好きなクラッカーを1つどうぞと分けてくれるだけで、心がキュンとなる。彼の愛情表現はどんな小さなものでも嬉しい。彼の存在自体が私にとっての喜びなのだから。花婿にとって花嫁の存在は、そんな感じなのかなと想像する。
私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。(10)
不安定だった花嫁の心は、この7章では、花婿の変わらぬ愛を確信を持って受け入れ、憩い、とても安心している印象だ。花婿の愛に依存していた状態から、自分が花婿を愛しているからその愛を形にしたい、花婿に捧げたいのだという、もっと能動的な愛へと変えられていることを感じる。その想いを積極的に花婿に伝えている花嫁の姿は、強く大胆だ。
雅歌の花婿花嫁はイエス様と私たち信徒、教会を表しているとよく言われる。
イエス様は私たちの不完全な愛をも美しい、麗しいと喜んでくださっているということなのだろう。つい、私などはできてない部分が気になって、本当にこんな状態で喜こばれてるのかと思ってしまうことがあるが、何かをしてるからとか、何かができるから愛されているのではなく、私たち信徒のその存在そのものを神様は愛し、喜んでくださっているんだということを思わされた。また、私たちの小さな愛の働き一つ一つを喜んでくださる方なのだ。神様との愛の関係の中で、私たちの愛の形も、ますますこの花嫁のように変えられていくのだろうと思わされた。
愛する天のお父様、今日もあなたの愛の眼差しの中に生かされていることを感謝いたします。日々あなたの愛から活力を得させて下さい。あなたの御心のままに私の心が変えられていきますように。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン

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