2025年9月1日 詩篇第119篇
- hccnichigo
- 9月1日
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『みことば詩篇』
ついに、この詩篇の中でも一番長い119篇に到達しました。ここに、それこそ、たくさん宝石のような、みことばに溢れています。私の目を開いてください、あなたのみことばを心に蓄えます、おきてを守ります、みことばとおりに私を生かしてください、あなたのおきての道を教えてください、その道を喜んで行きますから、みことばを信頼しています、みおしえを私は忘れません。
そして71節「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました」
105節「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です」
130節「みことばの戸が開くと 光が差し 浅はかな者に悟りを与えます」
146節「私はあなたを呼び求めます。私をお救いください。私はあなたのさとしを守ります。」
160節「みことばのすべては真実です。あなたの義のさばきはことごとく とこしえに至ります。」
この119篇には、みおしえを求め続ける作者がいます。それは真理としてのみことばです。ヘブル人にとっての真理とは、私たちの考える真理、例えば科学や社会の真理ではなくて、本物は何かという真理です。しかし、そのみおしえが具体的になんであるかの解釈はありません。
今は、偽物で世の中が溢れています。先日ToyotaからのEメールのようにして、あなたの車のメーカー保証が切れているので、連絡して下さいと連絡がきていて、近くにあったToyotaのディーラーに、そのEメールを見せたら、これは偽物とのこと。さまざまな手法でなんとかお金を稼ごうとあの手、この手で来るので、何が偽物で、何が本物か迷ってしまします。しかし、ここの真理は本物、永遠に変わらない、富む者でも、貧しい者でも変わらない真理のことを指しているのです。
思うに、この詩篇の作者の時代、旧約時代には、はっきりした主のみことばは、律法として伝えられていたわけです。そうして石に刻まれた律法は、本物である主イエスの到来へと導いている。これは、ガラテア書3章24節にありように、「こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。」 この詩篇119編では、主のみおしえを求め、あえぎますが、それでは、みおしえが何か、戒めとさとしは何かと聞かれると十戒を指し示す意外にありません。しかし、私たちは、本物の主イエスのことばを、聖書を通じて聞くことができるようになりました。神が、どのような状況に、どのようにお答えになるかを具体的に知ることができるのです。私たちの罪をどのようにして購ってくださったか、救いが魂の救いから、永遠の身体への救いとなること、天の御国の様子も、はっきりと本物である主から、人のことばとして聞けるようになったのです。天にむかう、道もしっかりと示されました。詩篇119編の答え、説明を私たちは受けたのです。
主イエスはヨハネの福音書14章6節「イエスは彼らに言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」
祈り
主よ感謝します、私たちには真理としての主イエスが、聖霊として宿ってくださり、天の父に行く道を教えてくださり、いのちとなって私たちの生きる道をも示してくださいました。もう何が本物かを探す必要はなく、ただ単に真理である主イエスを信じることで救いを得ることができることに感謝します。 アーメン
文:森 宗孝

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