top of page

2025年9月15日 詩篇第133篇

  • hccnichigo
  • 9月15日
  • 読了時間: 2分

『なんという幸せ』


 これはずいぶんと短い詩ですが、描かれて場面は、イスラエルの北にあるヘルモン山からエルサレムまでの広大な地域に降りる露のようだ。と主のいのちの祝福が、すべての約束の地に広がっていく様子を表しているようです。


 ヘルモン山と言えば、思い出すのは、そのふもとにピリポ・カイザリアという都市がありました。ヨルダン川の源流が、この山々から流れ出てガリラヤ湖に注がれるのですが、ガリラヤ湖からバスで1時間ぐらい北に上ったところでしょうか、ここには、イエスの時代には、パン神の神殿が建てられていて、洞窟から湧き出る泉から、冷たい透き通った小川を今でも見ることができます。マタイ16章に出てくる背景はこのピリポ・カイザリアです。


 きっと多くの人たちが、この神殿にお参りにきて賑わっていたのでしょう。そこでイエスは、神殿や参拝者を見ながら感激している弟子達に向き直って「人々は人の子をだれだと言っていますか」と問われたのではないかと思うのです。今まで目の前の神殿や参拝者に気を取られていたシモン・ペテロがはっと気がついて、「あなたは生ける神の子キリストです。」と答えたのです。日本でいえば、伊勢神宮の参拝客が賑わう中で、イエスが私たちクリスチャンに振り向いて、あなたはわたしを誰だと思うか、と問われているような場面です。


 そうして、イエスはペテロに答えて「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。」とはじめて教会ということを口にされた時だと思いますが、ペテロの信仰の上に建てる教会ともとれますし、目の前の神殿は、岩だらけの山の前に建てられていましたから、その岩山を指して、異教の偽物の神殿ではなく、本物の神の神殿である教会を建てると宣言したのではないかと想像するのです。


 話がヘルモン山のことから、本題からずれてしまいました。この詩篇、兄弟たちが一つになる幸せ、楽しさを頭に注がれた貴い油、つまり主から選ばれて、あぶら注ぎを受けた喜び、それはとこしえのいのちの祝福と描いています。私たちも主イエスを信じた時に、主から聖霊による油注ぎを受けていることを覚えましょう。そして、とこしえのいのちの祝福を受けている者となりましたことを感謝しましょう。


祈り

感謝します。聖霊による油注ぎを受けていますことに心から感謝します。そうして神の家族として、兄弟たちが聖霊によって一致して、ともに生きることの楽しさと幸せを受けていることに、感謝します。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 
2025年11月29日 雅歌第7章

ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことよ。(6)  花婿の花嫁に対する愛は1章から一貫してずっと変わらず、熱烈な愛を語っている。花嫁は最初の頃は、花婿から愛の言葉を受けながらも自分の外見を気にしていたり、自分も花婿への愛を表現していても、自分の都合で花婿を拒んで、その後慌てて探し回ってみたりと、愛に対して受け身で、不安定な印象だった。  そんな花嫁に、それでも花婿は花嫁の愛は、美

 
 
 
2025年11月28日 雅歌6章

先の5章の終わり辺りで、花嫁が花婿を突然見失った時、エルサレムの娘たちが「あなたの愛する方は、ほかの愛人より何がすぐれているのですか。」(5:9)と花嫁に質問をします。それに対して花嫁は、花婿がどんなに素晴らしい方であるかと褒めたたえ、はっきりと「これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。」(5:16)と答えます。  さて6章はその続きです。最初花嫁がなぜそんなに必死になって花婿を捜すのか理解で

 
 
 

コメント


bottom of page