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2025年8月18日 詩篇第105篇

  • hccnichigo
  • 8月18日
  • 読了時間: 2分

『神の契約は永遠に』 

 

 この詩篇には、アブラハムからイスラエル民族が起こされ、この主に選ばれた民の歴史を通じて、アブラハムと主の契約、アブラハム契約は永遠の契約であること、主が必ず救いのことばをもって、苦難を通され、荒野での試練を受けるが、それは彼らが主のおきてを守り、そのみおしえを保つためである。


 私たちも、このイスラエルの民と同様に、この世、荒野の中での生活では色々な試練を受けるのです。それは、私たちの信仰を強めるための試練であると聖書は語っています。どのようにしてアブラハムとの契約が、私たちと関係しているのか。


 ガラテヤ書3章6〜7節「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。さらに9節に「ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです」

 ここに、旧約聖書がイスラエル民族の歴史を語っている理由があります。イスラエル民族は、偶像礼拝をしたり、主に不平不満をぶつけたり、間違った道も通りますが、悔い改めによって、アブラハム契約の恩恵を受けているように、私たちも、罪からの悔い改めと信仰によって、アブラハムとともに、その祝福を受けるというのが、聖書の恵みであることに感謝します。


 現在のイスラエルとガザの戦いを見ますと、とても聖なる、選ばれた民族の姿は見えません。いまだに試練を通されているイスラエル民族がいます。彼らが心から主イエスを救い主、メシアとして呼び求める時に、もう一度主イエスが来られると約束されています。どうかイスラエルの民が、すべての国の祭司となる日、平和の君のもとに主イエスを礼拝する時が来て、本当の平安、シャロームがこの地に訪れますように、選ばれた民が喜びをもって主イエスを迎えることができますように


 主イエスをみごもった母マリアは、「私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに」とマリア賛歌(マグニフィカート)で歌いました。アブラハム契約は、神からの無条件契約で、信じる者には、主の恵みが必ず与えられるのです。


祈り

私たちも、ちょうどイスラエルの民が試練の中を通されたように、この世での苦しみに会いますが、それが信仰を深めるための主の導きであることを信じて歩む力があたえられますように、主を常に心から賛美することができますように アーメン

文:森 宗孝



 
 
 

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