top of page

2025年7月8日 詩篇第64篇

  • hccnichigo
  • 7月8日
  • 読了時間: 2分

『主にあって喜ぶ』


 私の嘆きを聞いてください、これは私たちも患難にあって、祈ることばです。

なぜこの世には患難があり、悪がはびこり、罪があるのか、と自問します。なぜエデンの園という完璧な楽園から、人は脱落したのか.....それは創造主なる神が人を救うため、なぜ悪がこの世にはびこるのか.... それは神が悪を取り除いて栄光を受けるため。

なぜ人は死ぬのか..... それは神が私たちを蘇らせるため。


 私の嘆きを聞いてくださり、私のいのちを恐るべき敵から守ってくださる主。私を囲む敵のことばは矢のようにここをにささります。私は、そのようなことばに傷ついて、どうしても彼らを赦すことができないのです。彼らは語り合って、私に罠をかけて、たくらみがうまくいったと喜んでいるような者たちなのです。それでも私は彼らを赦さなければならないのでしょうか....


 忘れておりました。主イエスは、すべての周りの人から嘲られ、弟子達には見捨てられ、人の心に潜む、醜さをすべてご自分の身に受けて、十字架に立たれたことを。

忘れておりました、苦しみの十字架の上で、「父よ 彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分でわからずにいるのです。」と語られたことを。


10節「正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心の直ぐな人はみな 誇ることができます。」


祈り

どうか、私も主にあって喜ぶ者でありますように、主に身を避けながら、主のみわざをすべての人に告げ知らせることができますように、助けて下さい。アーメン

文:森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 
2025年11月29日 雅歌第7章

ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことよ。(6)  花婿の花嫁に対する愛は1章から一貫してずっと変わらず、熱烈な愛を語っている。花嫁は最初の頃は、花婿から愛の言葉を受けながらも自分の外見を気にしていたり、自分も花婿への愛を表現していても、自分の都合で花婿を拒んで、その後慌てて探し回ってみたりと、愛に対して受け身で、不安定な印象だった。  そんな花嫁に、それでも花婿は花嫁の愛は、美

 
 
 

コメント


bottom of page