2025年7月28日 詩篇第84篇
- hccnichigo
- 4 日前
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『主の住まいはうるわしい』
主の住まいについては、いくつかの聖句があります。
コリント第二5章1節「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」
ヨハネの福音書14章2〜3節「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたの場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」
私たちを待つ天の住まいは、どのような住まいなのかと自分は想像しました。しかし、一旦は天の住まいが与えられるものの、ヨハネの黙示録21章には、聖なる都、エルサレムが天から降ってくる様子もありますから、主の祈りにありますように、”み国を来らせたまえ”と、やがてはこの地上に永遠のみ国が神の御手によって降ってくるのです。
さて、ここからは自分の勝手な想像で、聖書にはありませんが、この地上の、み国に住む前に行く天の住まい、私たちが、霊的な身体を持つと、3次元の世界の法則には縛られませんから、創造主たる神が造られた宇宙の、さまざまな惑星や星座を尋ねることができるのではないか、何億光年と離れていても、時間にしばれれずに、光速度の何百倍ものスピードで、オリオン座を尋ねたり、もしかしたら別の惑星に住む生き物を見たりすることができるのではないか、とStar Trexの大ファンである自分は想像するのです。
もしかしたら、逆に死後の世界では、このように自由に宇宙を行き来するようなことではなくて、まるで夜に眠って夢を見ているような状態なのかもしれません。そして大声で主イエスが声をかけて下さって ”森 宗孝 起きなさい”と言われると、眠りからさめて、永遠の身体のなかで起き上がるのかもしれません。
どちらにしても、主の住まいには、喜び、愛、信頼、栄光、希望が満ち溢れていて、たった1日だけ過ごしても、地上の千日にまさるとこの詩篇の作者は、描いていることは、事実であると確信しております。
祈り
どうか主イエスが、私たちの手を持って引き上げてくださり、それぞれが微笑みをもって主の庭に行くことに感謝致します。 アーメン
文:森 宗孝
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