top of page

2025年7月30日 詩篇第86篇

  • hccnichigo
  • 7月30日
  • 読了時間: 2分

 なんと心に染み入る詩篇でしょうか。


「主よ 耳を傾けて 私に答えてください。私は苦しみ 貧しいのです。」(1)

 苦難の中で、このように頼ることの出来る主がおられるのです。苦しいからこそ、飢え渇いているからこそ、主を求めるのです。


「主よ 私の祈りに耳を傾け 私の願いの声に心を留めてください。苦難の日に 私はあなたを呼び求めます。あなたが私に答えてくださるからです。」(6、7)

  私たちと共にいてくださる主は、苦難の日に答えてくださるお方なのです。

 私たちは、苦難の日に神に背を向ける者でしょうか。それとも苦難の日だからこそ主を求める者でしょうか。


「わが神 主よ 私は心を尽くしてあなたに感謝し とこしえまでも あなたの御名をあがめます。」(12) 

 詩人は今現在、苦難のただ中にあります。しかし、主は必ず祈りに答えてくださり、御心を成してくださることに信頼しているのです。

「主よ あなたが 私を助け 慰めてくださるからです。」(17)

 だから詩人は賛美を捧げるのです。この賛美は先取りの賛美です。祈りが答えられた後に賛美しているのではなく、祈りと同時に賛美しているのです。まだ苦しい状況は変わっていません。しかし主はすでに成してくださったと信じて賛美を捧げるのです。


 それは、詩人が苦しみの中で主に出会っているからです。私たちも主に出会うとき、苦難の中にあっても、不思議と主への賛美が湧き上がってくるのです。それは、主ご自身が私たちのすべてだからです。私たちは状況が変わったから賛美するのではなく、主が私たちの主であるから、ただその理由だけで主を賛美するのです。

 それほど「主は素晴らしい」お方なのです。


 天の父なる神さま

 人生には、様々な苦難が襲ってくることがあります。しかし私たちは、苦難の日にあなたを呼び求めます。そしてあなたが必ず祈りの答えてくださることを信じて、主よ、あなたを賛美いたします。

 主よ、あなたこそ私たちのすべてです。あなたこそ賛美を受けるべきお方です。ハレルヤ!

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

文:関真士


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 
2025年11月29日 雅歌第7章

ああ、人を喜ばせる愛よ。あなたはなんと美しく、麗しいことよ。(6)  花婿の花嫁に対する愛は1章から一貫してずっと変わらず、熱烈な愛を語っている。花嫁は最初の頃は、花婿から愛の言葉を受けながらも自分の外見を気にしていたり、自分も花婿への愛を表現していても、自分の都合で花婿を拒んで、その後慌てて探し回ってみたりと、愛に対して受け身で、不安定な印象だった。  そんな花嫁に、それでも花婿は花嫁の愛は、美

 
 
 

コメント


bottom of page