2025年7月15日 詩篇第71篇
- hccnichigo
- 7月15日
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『主に生まれた時から抱かれる』
この詩人の神への信仰は、実に力強い、若い日から主が自分の拠り所で、避けどころの岩だと言うのです。しかも自分の生まれた時から、主に抱かれていたと告白しています。 そして15節「私の口は絶えず語り告げます、あなたの義と救いとを。そのすべてを私は知っておりませんが。」と正直にへりくだっておられるのです。
それに比べると、自分自身は年をとってから、主イエスと出会ったので、とてもこの詩人のような信仰には及びませんが、主が救いの避け所であることだけは、同感しております。そして9節「年老いたときも 私を見放さないでください。私の力が衰え果てても 見捨てないでください」この詩人も、年老いていて、晩年になって自分の人生を振り返っているのではないかと思いました。
この詩人は、晩年になってから命の危険にあったのでしょうか。11節「彼らは言っています。『神は彼を見捨てたのだ。追いかけて彼を捕えよ。救い出す者はいないから。』どうやらこの詩人もダビデのように、追い立てられる経験をしたようですが、彼の主に対する信頼は変わっていません。20節「あなたは私を多くの苦難とわざわいとにあわせられましたが 私を再び生き返らせ 地の深みから 再び引き上げてくださいます。」まるで主イエスが約束された、私たちの聖霊による新生と身体の復活を預言しているような、その約束をすでに頂いた詩人であったようです。
22節になると、神を琴でほめたたえるとありますから、やはりこれはダビデが書いたとも思えますね。あなたの義を語り告げますと声高らかに私たちも宣言しようではありませんか。
祈り
主は私の苦しみの中にあっても、かならず振り向いて私を慰めてくださる方であることに感謝いたします。主を賛美します、そしてどうか主の義を語り続ける者となりますように アーメン
文:森 宗孝

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