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2025年6月30日 詩篇第56篇

  • hccnichigo
  • 2025年6月30日
  • 読了時間: 2分

『神に信頼を』


 この詩篇は嘆きの詩、死の恐れの中で、私は神に信頼しています。それゆえ、今、自分が経験している患難、それも自分の命を失いそうになっていても、これまで神によって、自分のの足のつまずきから救い出してくださったことを思い起こして、このような試練を受けても、決して何も恐れませんと告白しています。


 何度も「神に信頼する」と繰り返されているのですが、自分の周りの敵からは、一日中、自分を痛めつけるはかりごとをして、待ち伏せている、命が狙われている状況なのです。ダビデがダビデなのは、このい神への信頼が、彼の骨の髄まで流れていて、人間としてつまずきをするけれども、どのような状況の中でも、神への信仰が常に土台にあった人という点ではないかと思うのです。


 果たして、自分自身が四面楚歌の状態で、自分の力ではどうしようもない、しかも助けてくれそうな人もいない。この事態から救い出してくれそうな要因は、全く見えずに、希望がない。暗闇に沈んでゆくように、まるで逆らっても渦のなかに引っ張られるようにしてゆく、それでもその時に、主を信頼しますと言えるかどうか。正直なところ、そんな自信がない、哀れな自分を見るわけです。


 そのようか危機的状態の中にいるダビデは、まるで、危機は去って、すでに助け出されたように、最後の節で、感謝しているのです。このような心底から神を信頼することができるでしょうか

13節「まことに あなたは救い出してくださいました。私のいのちを死から。私の足をつまずきから。 私がいのちの光のうちに 神の御前を歩むために。」


 自分はまだ患難の真っ只中にいるのに、すでに助け出されたとして感謝を捧げる、これが恐らく、本物の神を信頼することなのでしょう。


祈り

 自分にはこれほどの、神への信頼、信仰が育っておりません、どうか御霊の助けによって、どのような患難に襲われようとも、すでに救い出してくださった主がおられると、感謝をもって祈ることができる者へと育ててください、主よ アーメン

文: 森 宗孝


 
 
 

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