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2025年6月17日 詩篇第43篇

  • hccnichigo
  • 6月17日
  • 読了時間: 2分

『わがたましい』


 42篇とつながっているこの43篇にも5節「わがたましい」が繰り返されている。

そして聖書は、私たち人間は霊とたましいとからだの三要素があると記されています。


 テサロニケ5章23節「平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。」


 父なる神の息吹を吹き込まれて、天とつながる私たちの霊と、自分自身の本能や意志、感情がつまっている私たちのたましい、そして身体、つまり Spirit,Soul,Bodyで成り立っている私たちですが、このたましいにサタンが働きかけることを私たちは理解します。主を畏れない思い、肉欲にひっぱられる本能、他の誰がなんと言おうと、自分自身が正しいと固辞するかたくなさとなって常に誘惑に満ち溢れる、わがたましい。どうかそのような私を助け出してくださいとこの詩人が語っているように思われるのです。


 そして、願いはあなたの光とまことをわたしのたましいに送ってくださり、神の住まい、神のみもとに行って、あなたをほめたたえるように、私のまわりにいる不正から、助け出してください、あなたは私の力の神です、と願っているのです。


 私たちも自分のたましい、感情や意志に揺さぶられる経験をします。特に自分に敵対する者から、あなたの神はいったい全体どこにいるのか、あなたが信じている神は本当におられるのかと問いただされ、たましいがうなだれる、思いが乱れる経験をしたことはありませんか。「わがたましいよ なぜおまえはうなだれているのか。神を待ち望め。神を褒めたたえよ」と自分自身の魂を鼓舞して、神への思いを再確認しようではありませんか。


祈り

私たちのたましいは、周りから影響を受けやすい感情や意志でなりたっています、そのように、たましいがうなだれている時こそ、神を褒めたたえ、待ち望む希望で、我がたましいに力をお与え下さい。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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