2025年6月12日 詩篇第38篇
- hccnichigo
- 6月12日
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詩篇38篇は冒頭に「記念のためのダビデの賛歌」と記されていますが、その「記念のため」ということばに目が留まったので検索してみました。二人の牧師が違う表現で述べています。一人の牧師は、「悔い改めの記念」そして、もう一人の牧師は「思い出すため」と解釈しています。
この二つの言葉を見た時に、私が心にふれられたのは「悔い改めの記念」でした。私にとっての「悔い改めの記念」する時は、愛する人達へおかしてきた罪を知ったときです。その時は、洗礼を受けた日から悔い改めへの道があたえられました。
ダビデは自分の犯してきた過去の罪を赤裸々に主に述べています。18節でのダビデの御言葉に語られています。
「私は 自分の咎を言い表します。
自分の罪で不安なのです。」18節
罪を心に持ったままだと平安が得られません。いつも不安です。私自身がそうでしたから。でも、今は罪をおかしたら内なる聖霊によって日々悔い改めることができることは感謝なことであります。私たちは、この世では日々罪との戦いです。それに打ち勝つためには、主の前に自分のありのままの罪を告白し、悔い改めていくことだと思います。
愛する天の父なる神さま。
あなたの愛するひとり子が私たちの罪のために十字架に架かり死なれた無償の愛を心から感謝します。イエス様の十字架の血潮によって、私たちは愛を知り、悔い改めていく日々が与えられていることができました。罪をおかした時には、いつでも自分のありのままで罪の告白をすることができますように、そして悔い改めへの道へと歩むことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

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