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2025年5月8日 詩編第3編

  • hccnichigo
  • 5月8日
  • 読了時間: 2分

 詩編3編は、ダビデ王が自分の息子のアブサロムから逃がれたときに作ったものです。そのような困難の中でもダビデは神に賛歌を歌うことができたのです。


 1節2節を読むとヨブが友人たちから蔑まされたことが思い出されます。ダビデは、自分の敵が、又、自分に向かい立つ者が多くいることを言っています。そして、「彼には神の救いがない」と今の自分の現状を主に訴えています。そして、4、5、6節ではダビデの神への全き信頼を述べています。 


「私は声をあげて主を呼び求める。すると 主はその聖なる山から私に答えてくださる。」4節


「私は身を横たえて眠り また目を覚ます。主が私を支えてくださるから。」5節


「私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。」6節


 普通ならいつ自分の命がねらわれるのかと不安で眠れるはずがありません。しかし、ダビデはこのような時にも主に委ねて祈ったのです。彼の信仰が、神への賛歌を歌うことができ、眠りにつくことができたのです。


 私たちも、自分達に何か大きなイベントを任された日の前日はなかなか眠れないことが多々あると思います。このような時にダビデのように、今の自分の置かれている状況(不安な気持ち)を神に素直に言って、そして、神は必ずこの不安な気持ちに答えてくださるという神への信頼をもって祈っていくことだと思います。


 ある牧師が語っておられるのが心に留まりました。

「信じるということは、闇の中に身をゆだねて眠りにつくことです。これが、神を信じるダビデの信仰でした。」つまり、闇の中に身をゆだねるということは、闇の中に身をゆだねた後は、神さまの出番だということをしっかりと信頼していくということです。



 主の御名を崇めます。

愛する天の父なる神さま。今日も私たちのために執り成して下さって心から感謝します。自分たちが困難の中にいる時に、あなたを見上げることができなることがあります。このようなときにどうぞ私たちの心があなたを見上げて祈っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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