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2025年5月29日 詩篇第24篇

  • hccnichigo
  • 5月29日
  • 読了時間: 2分

 詩篇24篇は、詩編22篇と詩編23篇とともにメシア的詩編の「三部作」と言われているそうです。


 詩篇22篇は「キリストの受難」過去

 詩篇23篇は「キリストを通して与えられるいつくしみと恵み」現在

 詩篇24篇は「キリストの栄光の王としての再臨」未来


 7節のみことばに目が留まりました。

「門よ おまえたちの頭を上げよ。永遠の戸よ 上がれ。栄光の王が入ってこられる。」

ここで言う「門」というのはエルサレムの神殿の門のことで、ダビデ王が凱旋から帰還したので門を開けよと連想しますが、実は、そうではないです。ダビデ王はエルサレムの神殿が完成した時にはいませんでした。ここでいう栄光の王とは、万軍の主のことです。


 7節のみことばは、私たちの礼拝をする心の持ち方だとも言われているそうです。礼拝で、主の臨在のなかにいれてもらえるのは、私たちの頑なな心を悔い改め、真な心を開いて、主を待ち望むことだと言われているそうです。栄光の王であられる万軍の主が入ってこられるような礼拝を持たせていただけることは、私たちクリスチャンのゴールでもありますね。


 「栄光の王」という言葉が7節から10節まで5回でてくるのは、この24篇だけで、きわめて重要なことばと言われています。


 私たちは、キリストの十字架によって今の慈しみと恵みのなかにおらせていただいています。さらに、私たちの未来は、栄光の王としてこられる主イエス・キリストの再臨を待ち望む希望があります。その希望に向かって、日々悔い改める心を忘れずに義なる道へと歩んでいくことではないでしょうか。



 愛する天の父なる神さま。心から主の御名を賛美します。

私も以前は、永遠の戸を上げることができませんでした。永遠の戸を上げてもらうことのできるお方は、主なる神ただお一人であるということも知らないで、罪のなかにいました。しかし、イエス様の十字架の血潮によって罪の鎖から解き放してくださり、自由が与えられ、永遠のいのちがあたえられました。永遠の戸を上げてもらえました。このようなイエス様の無償の愛を多くの人に伝えることができるように用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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