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2025年5月23日 詩篇第18篇

  • hccnichigo
  • 2025年5月23日
  • 読了時間: 3分

 詩篇18篇は第二サムエル記22章に載っている歌と同じです。これは主が、ダビデをサウルから救い出された日に歌った歌、主を慕い求めたダビデが、勝利の喜びと主への感謝と共に、主の示されたダビデへの深い愛を歌ったものです。


 この詩篇からも沢山のことを学べますが、今日はそのひとつ、「謙遜」について学びたいと思います。「…あなたの右の手は私をささえ、あなたの謙遜は、私を大きくされました。」(35)


 ダビデがこれまで多くの敵に襲われながらも生かされ、やがて敵を追い打ち滅ぼすことができたのも、また国々のかしらに任じられたのも、「主の前に全き者」であるダビデを、主は自分のことを「喜びとされたから」(19)ですとダビデは歌います。


 ダビデは、これまで多くの敵に襲われ、危険や苦しみの中にいた時、主に助けを叫び求めました。その真実なダビデの声は主の御耳に届き、主は、どこかの会社の名ばかりの社長のようにただ単に社長の座に座っているのではなく、天の御座から、わざわざ神ご自身が「天を押し曲げて降りて来られた」のです。ダビデはそこに神の「謙遜」を見たのだと思います。


 主は、ダビデを民の争いから救い、国々のかしらに任じました。そして彼の知らなかった民さへも彼に仕え、彼のいうことをすぐに聞き入れ、彼に取り入りました。ダビデはイスラエルだけでなく、周りの多くの国々の民からも、その軍事力や王としての力を認められていたのです。それでも彼は主の御前に、敵は強く自分は弱いものという自分を認め、そういう自分でも主が「大きくされた」と、また神を信頼し助けを求めなければ自分だけでは何もできないと信じ、それを賛歌しました。それこそ私たち人間が神の前に持つべき謙遜な姿だと思われます。


 私たちがスポーツの試合で優勝したり、仕事のことで大成功をしたり、何かのコンペで最優秀賞をもらったりする時、周りの人たちに褒められちやほやされるとき、ついつい高慢になってしまいます。しかし自分がそのような勝利の中にいるのも、主が謙遜になって弱い私たちのもとに降りてきて、私たちを大きくしてくださったからで、私たち自身もまたダビデのようにいつも謙遜な心を持ちたいと思います。



 愛する天のお父さま、私たちが苦難の中にいる時、私たちがあなたを叫び求める時、私たちのために謙遜になり、あなたがダビデのために謙遜になり、天の御座からこの地に降りて来られたように、私たちをも助けてくださることを感謝します。これから私たち自身もあなたの前で、人々の前で謙遜に生きることができますよう、お導きください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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