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2025年5月20日 詩篇第15篇

  • hccnichigo
  • 5月20日
  • 読了時間: 2分

『主の幕屋』


 ダビデ王が契約の箱をエルサレムに迎えた時に、先頭に立って踊りながら入城した場面は映画にも出てきたりしていますが、長い間イスラエル民族から離れていた、この契約の箱をエルサレムに迎える儀式の中で歌われたとされるのが、この15篇ダビデの賛歌と言われている。その後、この詩は歌い続かれて、やがてエルサレムに入城する巡礼者たちが、城門で歌い「主よ だれが あなたの幕屋に宿るのでしょうか。」それに対して城門の中から祭司たちが「全き者として歩み 義を行い 心の中で真実を語る人」だと応答するようになったという説があって、確かにそうだったのではないかと思うのです。


 ダビデ王時代には、主によって神殿を造ることは赦されずに、彼の息子であるソロモン王によって神殿が建てられたことを学びましたので、ダビデ王の時代には、エルサレムには、神殿でなくて幕屋があったのでしょう。そして、この幕屋を張るという言葉(スケーネー)は、新約聖書にも登場していて、ちょうど今、自分が勉強中のヨハネの福音書1章14節「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」この私たちの間に住まわれたという箇所に、幕屋を張るという(スケーネー)が使われているのです。 つまり私たちの間、聖霊となって心に住まわれる主イエスは、私たちの間に幕屋を張って下さっているという意味になって、私たちは主イエスご自身が神の子羊として、十字架で生贄になって下さったので、主の臨在する幕屋のなかの聖所に入ることができる存在とならしめて下さったという、なんとも意味深い聖書のみことばになって行くのです。


 主イエスは私たちの間に幕屋を張って下さった、だれが幕屋に宿るのでしょうか?

全き者として歩み、義を行い心の中で真実を語る人が幕屋に入る者、果たして私たちは、そのような者であるかどうか?朝起きて、鏡に自分の顔を写し見て、主イエスのように全き者として歩んでいるだろうか。主イエスの求める義を行う力が今日も与えられますように、心の中で真実を語るように、人との交わりの中でも主の真実を語れる勇気を与えて下さるように、今日1日を大切に、主と共に過ごせるようにと願ってゆきましょう。


祈り

主イエスが私たちの間に、幕屋を張ってくださって、臨在して下さることに感謝致します。どうか私たちが胸をはって、全き者として歩むことができますように、主が手を伸ばされて、引っ張り上げて下さろうとされておられる事に感謝致します。

アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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