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2025年5月16日 詩篇第11篇

  • hccnichigo
  • 5月16日
  • 読了時間: 2分

 7節のみの短い11篇ですが、ダビデは、その最後の7節で、「主は正しく、正義を愛される。 直ぐな人は御顔を仰ぎ見る。」と言っています。直ぐな人とは、どういう人を指しているのでしょうか?完全無欠な人のことでしょうか?そうすると、完全無欠な人は数少ないので、御顔を仰ぎ見ることは難しくなります。そうではなくて、ダビデ本人のように罪を犯しても、いつでもどこでも、心をまっすぐに主に向けて、主にすがり、祈りながら生きる人をさしているように思われます。


 そして、主は正しく、正義を愛されるお方なので感謝ですが、私たち人間にとって完全無欠であることが非常に困難であるように、常に、正しく発言したり行動したり出来ていない自分もいます。それでも、心をまっすぐに主に向けて、主の御顔を仰ぎ見ることが出来る特権を私たちクリスチャンは与えられているので感謝です。


 私たちがイエスの御名で、天の父なる神に祈るとき、そこで天の御座と、この矛盾に満ちた地は、重なり合うように互いに近づいています。


 イエスの父なる神に向かって「アバ父よ!」と呼びかけられることを感謝します。天の御座におられる方の御顔を、いつでもどこでも、覚えさせてください。



主の祈り:今日の御言葉を感謝します。天を仰ぎ、その天に王座がある主に、いつも祈り、すがれる恵みを心から感謝します。この祈りをイエス様のお名前によって捧げます。アーメン


 
 
 

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