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2025年4月9日 ヨブ記36章

  • hccnichigo
  • 4月9日
  • 読了時間: 2分

「見よ、神は力にすぐれておられる。神のような教師が、だれがいるだろうか。誰が神にその道を指図したのか。誰が『あなたは不正をした』と言ったのか。神のみわざを覚えて賛美せよ。人々がほめ歌った、そのみわざを。」(22~24)


 エリフと他の3人の違いは、エリフは、神に焦点を当てている所です。確かに3人の友人も神のことを語ってはいますが、彼らの焦点はあくまでもヨブなのです。しかしエリフは、ヨブに向けても語りますが、それ以上に神のことを語っています。そして神を賛美します。私たちは、このエリフの姿勢から学ぶことができます。


 ヨブのような苦難に遭っている人の多くは、その問題に目を向けます。しかし、その問題は、多くの場合本当の問題ではないことがほとんどです。表面に現れている問題の奥に実は本当の問題が隠されていることがあります。

 その表面に見える問題に目を向けている限り、本当の解決は訪れません。一度、そこから目を離し、視点を変えることが必要なのです。

 ヨブの問題は、実際に起こった災難です。そしてその災難がなぜ義人であるヨブに起こったのかというのが大問題です。そしてヨブも友人も、この「なぜ?」の答えを探し始めるのです。しかし、そこに焦点を当てている限り本当の解決は得られません。それはヨブ記の長いやりとりを見れば一目瞭然です。


 エリフしたのは、ヨブの視点を神に向けさせることなのです。なぜ義人のヨブに災難が起こるのかという事ではなく、ただ神に焦点を当てるのです。神が神であることの確かさを証するのです。

 そして神が分かると、かんじがらめになっていた鎖が解けるように、新しい道が開かれていくのです。この後、神はヨブと3人の友人に、彼らが「なぜ?」と問うていたことには一切答えないのです。しかし神が神であることを神ご自身を証するのです。その時、ヨブは「神」の存在に圧倒されるかのようにして納得してしまうのです。


 問題に支配されているような状況においては、視点を変える、神に目を向けることは、本当の解決への道となります。


天の父なる神さま

 私たちがどんな問題に直面しようと、その問題を支配しておられる主に目を向けることができますように、私たちを励ましてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン          

文:関真士


 
 
 

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