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2025年4月8日 ヨブ記35章

  • hccnichigo
  • 4月8日
  • 読了時間: 3分

『神を待て』


 年少者エリフの聡明なヨブに対する反論が続いている。彼の口調は鋭く、ナイフのようにヨブの心に突き刺さっているのではないかと思うのです。しかしながら、もしも、身体も心も魂も痛んでいる友人を前にして、正論であるとしても、彼の傷に塩を塗るような、反論は神が喜ばれることばでは無いのではないか、とも思うのです。

私たちが苦痛を覚える時には、慰めのことば、優しさがよりもの薬ではないかと思いませんか。しかし、年長者三人との激論の末に、エリフも感情的になっているものの、ここには鋭さ、あなたは神を待て!と大変な真理を語っておられるのです。


 14節「神を見られない」とあなたが言うときには、なおさらだ。しかし訴えは神の前にある。あなたは神を待て。」ここまで来るまで、ヨブと友人達の激しくも、正しい人が患難に会うのは何故なのか、というどの時代でも、人が疑問と思っている問題に、それぞれが意見を述べてきたのですが、ここにきて究極的に、聖なる神を待ち望むこと、造り主に助けを求めながらも、神を待つことが私たちの回答だと聡明なる結論に導かれているのではないかと思います。


 私が親しくしている友人、仏教徒ですがキリスト教にも興味をもっている友人、彼は、幼稚園の先生をしたり、町のために奉仕したりしてきた奥さんをガンでなくされました。ご自分も地域を助ける公職におられたので、どうして正しく生きてきた私たちから、幸せを取り上げてしまうのかと悲しみと同時に、神に対して訴えておられます。このような方々、皆さんも知り合いやご自分のご家族を失った経験をされた方々は、現代でも多くおられるのではないでしょうか。信仰を深めるためと言われても、納得がいきません。苦しみはなかなか去らないのです。


 今年に頂いた年賀状、91歳になる知人が漢文に詳しく、今年の気持ちを表されていて、毎年異なるので楽しみにしているのですが、今年は「去者日疎」去る者は日に疎し、私たちはたくさんの人と出会い、そして別れるものです。別れた人とは日がたつにつれて疎遠となるのは、しかたがないこと。という古詩19首に歌われている漢文です。これとヨブとは直接の関係はありませんが、愛する者が安眠されても、いずれは再会するという希望、そのようにされる神を待てとここではエリフが悟っているのではないか、と思いました。


祈り

私たちには、主イエスの再臨を待つ、神を待つというはっきりとした目標を頂きました。空しい約束ではありません、主イエスが十字架の死から復活されて、私たちにも復活の身体のい約束をされたからです。神を待つことのメッセージに感謝します。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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