top of page

2025年4月4日 ヨブ記31章

  • hccnichigo
  • 4月4日
  • 読了時間: 2分

 この章で、ヨブの独白は終わります。ヨブが、いかに自分が潔白であるかを告白していて、神様はどうしてサタンの試みを良しとし、苦難を与えられたのか、もう一度振り返りたいと思わせる章です。過去の栄光を振り返り、今の不幸を嘆いていたヨブでしたが、気を取り直したかのように、頑なに自身の潔白さを主張しています。しかも、1節では、「私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留められるだろうか」と問いかけ、表面的な行為に留まらず、心の動機にまで掘り下げて語っています。「神は私の道をご覧にならないだろうか。私の歩みを全て数えておられないだろうか。」と4節で語り、神の御前での正しさを、心の奥のこととして語り、自分の歩みは神のまなざしに耐えられるものだと主張します。


 5節からは、もしという接続詞を用い、12の罪を取り上げて自らの潔白性を主張しています。色情、虚言、貪欲、姦淫、奴隷の人権無視、貧者の切り捨て、拝金主義、偶像礼拝、敵への非情さ、客人、旅人への配慮のなさ、罪の隠蔽、搾取等。ヨブはこれらのことばに、間違いはない、何なら署名しようとさえ語っています(35節)。


 ヨブの正しさ(潔白であること)は神も認めておられ、ヨブの友人たちが、ヨブに隠された罪があったのではないかと攻撃しましたが、そのような事実はないのに、その上で、神様は苦難を下されました。まさにそれは、全く正しき者が苦難を受けるイエス様と重なります。


コリント人への手紙第二5章21節 「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」



主の祈り:ヨブのように、私は自分がどれだけ潔白であるかを告白することは出来ません。でも、私たちの罪をゆるして下さり、聖霊様を送って下さり、いつも私たちと共にいて下さることを感謝します。イエスキリスト様の御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月2日 テモテへの手紙第一2章

『人としてのキリスト』  このテモテへの手紙、牧会書簡は、パウロの牢獄からの最後の書です。愛弟子のテモテに、パウロ自身も頂いて、テモテへ伝えた福音を守り抜きなさいという命令の書でもあります。教会に集うすべての人々、身分も異なり、高い地位の人も、奴隷となっている人も、男も女もすべての人のために、祈り、とりなし、感謝をささげなさいと、この老いた、恩師であるパウロは、若いテモテに語っています。  4節「

 
 
 
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 

コメント


bottom of page