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2025年4月29日 ピリピ人への手紙2章

  • hccnichigo
  • 2025年4月29日
  • 読了時間: 3分

『イエスの心』


 主イエスの本質の中で際立っているのは、従順ではないでしょうか。神に対する従順、神としてのあり方を捨てて、しもべの姿をとって死に至るまで父なる神に従順であった。その主を愛しており、同じ思いを持つならば 4節「それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。」とパウロはピリピ教会に、もしくは私たちクリスチャンに語るのです。どうしてもこの世にあっては、罪ある人間の集まりである教会でも、利己的な思いで、同じ信者の生き様を批判したり、陰口を言ってしまうことになりがちです。なぜなら私たちは不完全であるからです。いわば病人であって、医者である主イエスの処方と手術を待っている患者であります。その患者が集まったのが教会ではないでしょうか。


 自分の主治医を尊敬して、いわば愛することはそれほど難しいとは思いませんが、同じ同室の患者で、ぶつぶつ文句を言ったり、夜中まで起きていて騒がしい患者に対して、主治医に対してと同じ愛の心を持つことは、自分の力でできる技ではありません。 しかし、そのような私たちに対して5節「キリスト・イエスにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」と命じているのです。イエスの心を自分の心としなさいと勧めているのです。


 ここまで、ほかの人のことも顧みなさい、愛しなさいと諭している理由のなかには、世の光となりキリストの再臨の時に、よくやったと褒められることになると言う将来の報酬だけでなく、パウロと一緒に行動して、かれが育ててきた若者、テモテをピリピの教会に送りたいことがひとつありました。かれは年が若かったようで、教会の牧会をする素質があるものの、若いからと言って、教会員から受け入れないことがないように頼んでいるのです。もうひとつはピリピ教会からローマの獄中のパウロのために、送られてきた使者エパフロディトをピリピ教会の送り戻すためでした。彼はどうやら、本来送られてきた目的である、パウロの手助けをする役割であったのに、自分自身が病気にかかって、かえって迷惑をかけてしまったようで、そのことを悩んでいたようです。しかし、パウロはいのちの危険を冒してまでローマに来てくれた彼とピリピ教会に心から感謝していたので、彼のこともよろしく頼むと言っています。


 パウロがこの手紙を書いたのは紀元61〜62年頃と言われています。学者によってはパウロは、2度にわたってローマで、囚人となったのではないかとう説の方もおられるのですが、最初の時には自宅監禁、次の時には牢獄で、最後には首をはねられて殉教したというのです。使徒の働き28章30節では、「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えた」とありますから、この時は、監視付きの自宅監禁であっただろうと想像します、そしてそのような時にピリピ教会から手伝いが送られて来たのではないでしょうか。パウロはピレモンの手紙を書いていますが、これもオネシモという本当の奴隷が手伝いに送られてきたのですが、彼をもとの主人に戻すための手紙でもありました。


 どちらにしても、パウロ自身がイエスの心をもって、周りの人々に愛をもって接していたことが、彼の手紙の内容ににじみ出ています。いっかいの奴隷に対しても従順となって、彼の将来を心配し、手伝いにきて病気になった者が、送られてきたピリピ教会から批判されないように、気をつかうパウロは、どこまでも従順なキリストの心をもった、しもべでありました。


祈り

 どうか自分の心にも、自己中心な魂を、キリストにあって従順な心として、入れ替えて頂き、キリストの日に誇ることができますように。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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