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2025年3月29日 ヨブ記25章

  • hccnichigo
  • 3月29日
  • 読了時間: 2分

「シュアハ人ビルダデが答えた。主権と恐れは神のもの。神はその高い所で平和をつくられる。その軍勢の数には限りがあるだろうか。その光に照らされない者がいるだろうか。人はどうして神の前に正しくあり得るだろうか。女から生まれた者が、どうして清くあり得るだろうか。ああ、神の目には月さえ輝きがなく、星も清くない。まして、うじ虫でしかない人間、虫けらでしかない人の子はなおさらだ。」


 ビルダデはヨブの友人です。ヨブに降りかかったすべてのわざわいを聞いて同情したビルダデは、彼を慰めようと他の友人たちと共に訪ねて来ていました。しかしビルダデはヨブの苦しみに寄り添うよりも、神の正しさを強調し、彼の苦難を批判しました。


 25章はビルダデの最後の発言の箇所です。彼は、神の絶対的な主権を強調することで、ヨブの自己弁護を無意味にしようとしています。ヨブが自身の義を主張するため、ビルダデは「人はどうして神の前に正しくあり得るだろうか」と反論しています。しかしヨブはなぜこのような苦しみを受けるかを問うてるだけで、彼自身の正しさを主張しているわけではありません。


 神の偉大さを認めることは大切ですが、ビルダデのような「人間は無価値」といった極端な主張は危険だと思います。神にとって人はそのような無価値な存在だなどと聖書には書いてありません。聖書の神は「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と言われます(イザヤ43:4)。


 苦しむ人に対して試練の理由を理論立てて意見するのではなく、その苦しみに対して共に寄り添う心を持つことが大切であることを教えられました。


 祈り:愛する天のお父さま。神は愛であり、私はそのあわれみの中で生かされていることを感謝いたします。その大きな恵みを厳粛に受けとめ、御心に従う信仰生活を送らせてくださいますよう、導いてください。主イエス・キリストの御名によって感謝して祈ります。アーメン。


文:アイゾン直子


 
 
 

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