top of page

2025年3月27日 ヨブ記23章

  • hccnichigo
  • 3月27日
  • 読了時間: 2分

 今日もまた、私の嘆きは激しく、自分のうめきのゆえに私の手は重い。2節


 ヨブは今日も神からの応答がなく苦しんでいる。これほどまでにヨブは神に叫んでいるのに神は沈黙を守られておられるのである。友人たちからの答えではなく、ただ神からの応答を待ち望んでいるのである。イエスさまもおられない、ましてや聖書のない時代にただひたすらに神を待ち望んでいるヨブの信仰に深く考えさせられます。私たち人間が最期に求めるのは、人ではなく、ただ神の答えを待つことではないだろうか。


 いつになったら神の応答があるだろうか。それは、自分も経験したことがあります。悲しくて、辛くて、何もかもいやになりました。いつになったらこの悲惨な状態から抜けでることができるのだろうか、と悶々と日々を過ごしたことがありました。聖書を読んでも頭が空回りして、心は暗闇の中にいました。自分から聖霊さまを締め出していました。聖書の中に神の声を聞くことができませんでした。その状態が3年も続きました。3年過ぎた頃に神の御言葉があたえられました。心から主に感謝でした。


「まことに 御怒りは束の間 いのちは恩寵のうちにある。

 夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある。」詩編30:5


 今は新約の時代で、神の答えを知りたかったら聖書を開けばいい。しかし、神の答え、神の御心を先に優先しないで、自分の力にたよりきって自分を優先してしまうと神は決して応答してくださらないことは私たちも知っていることであります。私自身にも言えることですが、聖書が与えられている時代に生きる私たちはとても感謝のことでありますが、その神の声の聖書を二の次にしてしまうことが多々にあります。物が豊かになると心も傲慢に陥りやすくなります。ヨブの、神を心から慕い待ち望む信仰のすがたは、初心に戻って神に近づくことを持ち続けることではないかということが示されました。


 ヨブから学ぶことは多くあります。彼の語る一語、一語に魂が揺さぶられる思いがします。神へ向き合う私たちの信仰のすがたが指摘される思いです。



 主の御名を心からほめたたえます。

天のちちなる神さま、今日の御言葉を心から感謝します。ヨブの神を待ち望む心をもつことができますように、私たちの信仰をつよめてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月2日 テモテへの手紙第一2章

『人としてのキリスト』  このテモテへの手紙、牧会書簡は、パウロの牢獄からの最後の書です。愛弟子のテモテに、パウロ自身も頂いて、テモテへ伝えた福音を守り抜きなさいという命令の書でもあります。教会に集うすべての人々、身分も異なり、高い地位の人も、奴隷となっている人も、男も女もすべての人のために、祈り、とりなし、感謝をささげなさいと、この老いた、恩師であるパウロは、若いテモテに語っています。  4節「

 
 
 
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 

コメント


bottom of page