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2025年3月23日 ヨブ記19章

  • hccnichigo
  • 2025年3月23日
  • 読了時間: 2分

「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。」25節


「私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。」26節


「この方を私は自分自身で見る。私自身の目がこの方を見る。」27節(抜粋)


 自分の潔癖さを友人たちの激しい罪の攻撃の中で証明できない中で発した言葉です。ヨブは16章19節で、「今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。」と語っています。以前は、神と人との間に手を置く仲裁者がおればいいという希望を持っていました。そして、19章25節では、さらに「贖う方が生きておられる」と断言しています。ヨブの心がさらに神への信頼へと強められていく思いです。


 26節の「肉から神をみる。」と27節の「私自身の目がこの方を見る。」と言うヨブの言葉に目が留まりました。神を見ることは誰もできないと聖書は語っています。あのモーゼでさえも神の後ろ姿しかその栄光を見ることができませんでした。このヨブの大胆な発言に絶句させられました。


 これは、自分がこのような状態から解放されることを期待し、さらに「私を贖う方」が「地のちりの上に立たれる」ときと、「私の皮膚がこのように剥ぎ取られた後」というときを重ね、苦しみの後で自分が贖い出されるということを期待したと言われています。そしてさらに、神によってその無実が認められた者として、肉なる存在が仰ぎ見ることができない「神を仰ぎ見る」ことができると期待していると解釈者は語っています。さらに語られています。ヨブ自身が死の支配の力から贖い出され、神を自分の「肉、自身、目から見る」ということが強調されると語っています。


 私たちの贖い主は、私たちの罪のために十字架で死なれ、三日目によみがえられた主イエス・キリストです。そのお方によって罪から解放され、永遠のいのちがあたえられました。なんという感謝なことでしょうか。その恵みを覚えて、つねに謙遜になり、他者の苦しみ、悲しみに寄り添って祈り合っていくことが私たちクリスチャンの励みではないでしょうか。



 ハレルヤ!主の御名を心から賛美します。

私たちの贖い主となってくださった主イエス・キリストの愛により、日々生かされてくださっていることに心から感謝します。この無償の愛、恵みを多くの人に語り続けることができますように私たちを用いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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