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2025年3月17日 ヨブ記13章

  • hccnichigo
  • 3月17日
  • 読了時間: 3分

『神が私を殺しても、私は神を待ち望む』


 ヨブ記には、友人たちとの論争が3回も繰り返される。ほとんどの論争は神がヨブにバチを与えたのだという因果応報が友人たちの根拠ですが、最後に出てくるエリフだけが、少し違った角度からヨブに問いかけるのです。それはこれからのデボーションにおいておいて、さてこの13章は11章で友人のツォファルのヨブへの批判、「私の主張は純粋だ。」これに対してヨブのさらなる反論となっています。13章2節「あなたがたが知っていることは 私も知っている。私はあなたがたより劣ってはいない。」と友人たちが、見下している態度に反発しているのでしょう。そして、あなたがたは無用の医者とまで言い切っています。


 しかし、繰り返しますが、ヨブの友人たちが7日間も論争の前に、一緒に黙って彼と共に居たことも忘れてはなりません。彼らは、私たち同様、なぜヨブがこのような目にあっているのかを人の目で見て判断しようとしているのですが、このような事態は地上にいるヨブや私たちと全く関係なく、天上での主と、それに対するサタンの挑戦が地上にいるヨブの身に起こっているので、ヨブの今までの生き方や咎とは無縁の所で、苦難が発生していることを私たち、ヨブ記を読む者は知っていますが、ヨブも友人たちも、そのような思いもよらない所に原因があるとは想像すらしていないのです。


 私たちも、病気になった友達や、経済的に追い詰められた知人を持っていないでしょうか。彼らの為に祈ったり、援助を申し出たりした事はありませんか。しかし、そのような苦難の原因を見分ける事は、私たちの力では出来ない事を自覚すべきでありましょう。原因を探そうとして、結果として友達の生き方を分析したりしていないでしょうか。 私たちには、理解できない世界で、患難が与えられているのかもしれません。


 ヨブは友人たちに9節「神があなたがたを調べても、かまわないのか。人を欺くように神を欺こうとするのか。」と強い口調で攻め立てています。そうして13節「黙れ。私に関わるな。この私が話す。私に何がふりかかってもかまわない。」とたんかをきっています。しかし、このヨブの気持ち、苦しみの痛みがひどいことも解りますね。そうしながら、心から主の返答を願っているのです。私に話しかけて下さいと。


どうして御顔を隠して、私のことを敵と見なされているのですか。と心痛の思いとはこのことですね。


祈り

ヨブの言葉に、自分の中にある、追い詰められた時にある苦痛が見えてきます。私たちもそうなんです。なぜ一生懸命生きてきた、私を見捨てるようになさるのですかと主に問われる。しかし、それでも主にすがるように手を伸ばすことを自分が忘れないようにさせて下さい。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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