top of page

2025年3月16日 ヨブ記12章

  • hccnichigo
  • 3月16日
  • 読了時間: 3分

 ヨブ記12章は、友人の中の一人であるナアマ人ツォファルへの応答である。ヨブ記11章を読んでいて、ツォファルの語り方がまるで上から目線的な論じかたであったと思われます。さずがのヨブもひるまずに12章の3節で、「私にも、同じように良識がある。私はあなたがたに劣っていない。これくらいのことを知らない者がいるだろうか。」と語っている。誠実で直ぐな心を持っていて、神を恐れて悪から遠ざかっていると言われている称賛者のヨブが、このようなことを言うなんてと思うところですが、ヨブもかなり苛立ちを覚えていたと思います。ツォファルの思いと自分が求めているものがかなりくいちがっていたからではないでしょうか。


 ヨブはさらに4節~6節で皮肉ったことを述べています。


「荒らす者の天幕には安らぎがあり、神を怒らせる者は安らかだ。神がご自分の手でそうさせる者は。」6節


 ヨブは、このことを、神の恵みの中で自分は安全だと思っている人が、病気や苦難に陥った人々に対して、軽蔑のまなざしを向けて、それを楽しんでいるのだと訴えています。怒りをあらわさずにかなり皮肉った語調です。ヨブも自分が見下されているのを感じていたと思います。自分がクリスチャンでなかったらこのような不条理な出来事はまるで神がいないかのことのような矛盾があると思ったことでしょう。すべては、神のご計画にあるということを知ることは用意なことではないでしょう。クリスチャンであっても、何度も不条理なことに出くわすことがあります。そのような時に果たして私たちクリスチャンが、それが神からでたことなのかを見極めることができるようになれるだろうかと問われるところであります。常に聖書の教えに従っていくことではないでしょうか。


 ヨブ記を読んでいて本当に他者に言葉を述べる時ってとても責任があると思い知らされます。相手がヨブのように、いや、それほどの境遇の中まで落ち込んでいなくても、励ましている自分の言葉が相手にとって慰めの言葉になっているだろうかと、又は、相手を見下されたような話し方になっているのではないだろうかと大いに考えさせられるところであります。



 主をほめたたえます。

天の父なる神さま。今日の御言葉を心から感謝します。他者への思いやり、話す言葉一言一言が生きています。あなたからいただいた大切な体の一部であるこの口、舌を用いて、他者への慰めの言葉を語ることができますように。そして、常にあなたに祈り、委ねていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月2日 テモテへの手紙第一2章

『人としてのキリスト』  このテモテへの手紙、牧会書簡は、パウロの牢獄からの最後の書です。愛弟子のテモテに、パウロ自身も頂いて、テモテへ伝えた福音を守り抜きなさいという命令の書でもあります。教会に集うすべての人々、身分も異なり、高い地位の人も、奴隷となっている人も、男も女もすべての人のために、祈り、とりなし、感謝をささげなさいと、この老いた、恩師であるパウロは、若いテモテに語っています。  4節「

 
 
 
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 
2025年11月30日 雅歌8章

「封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」6節  強い夫婦の愛が描かれています。これほどの献身さがあると夫婦の愛、結婚愛は壊れないのではないかと思います。同時に私たちも神との霊的な関係がこのように強くあれば決して信仰が揺るがされることはないということにつながっていきます。

 
 
 

コメント


bottom of page