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2025年3月14日 ヨブ記10章

  • hccnichigo
  • 3月14日
  • 読了時間: 2分

『構わないではいられない神』


 次の章で「神の奥義」が語られるが、この章でヨブは「自分はなぜ苦しい目に遭うのだ?私は生まれてこなければ良かったのに」と嘆きと悲しみを神様にぶちまけている。


 私はホスピス患者さん達をケアしたことがある。20節と似たようなことを口にする人が多い。


20節 私の生きる日はわずかなのですか。

   それならやめてください。

   私にかまわないでください。

   私はわずかでも明るくふるまいたいのです。


 または「早く死にたい」。クリスチャンのホスピス患者さんでも「早くイエス様が天に呼んでくれないかな」と言われた。


 それほど、この世で生きていくのは患難が沢山ある、昔も今も。

 先週の江崎先生のメッセージにもあったが、父である神は私たちを愛してやまない。苦難は神の道への鍛錬、教育として証して下さった。「バカな子ほどかわいい」と私は信じている。


詩篇 139:8

 たとえ 私が天に上っても

 そこにあなたはおられ

 私がよみに床を設けても

 そこにあなたはおられます。


 父なる神様はかわいい子供達(私たち)を放っておけないようだ。


 ヨブのように自暴自棄になって、神に文句をガンガンぶつけようとも、神様はそばにいて聞いてくれて、「勝手にしろ」とか言って離れたりしない。だから私は心配しないことにした。私が「放っておいて!」と言っても放っておけない神様だから。構わずにはいられないのだから。


天の父なる神様、

 十字架で死なれたキリストは墓に葬られ3日後に復活されるまで「陰府」まで降りて行かれた(使徒信条)。そうまでして、私たちを救って下さった。感謝します。より多くの人が救われますように。イエスキリストの御名により祈ります。アーメン

文: マッカーター政子



 
 
 

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