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2025年3月13日 ヨブ記9章

  • hccnichigo
  • 3月13日
  • 読了時間: 2分

「私たちは二人の上に手を置く仲裁者が、私たちの間にはいません。」33節


 ヨブがシュアハ人ビルダデに対しての応答が記されている中で、心に留まったのは 33節の二人の上に手を置く仲裁者がいないというところです。文脈を通して語られた ことは、ヨプは罪をおかしていません。いくら二人の友人たちに罪があるからと言われ てもヨプにとっては納得がいかなかったと思います。ヨブの求めているものは、どうや ったら自分の潔白を神に訴えることができるのかということでした。旧約の時代に生き たヨプにとっては、仲裁者がいないことがとてももどかしかったことでしょう。


 真の仲裁者は神以外は存在しないと思います。余談になりますが、例えば、弱者が自 分の潔白を証明するときに、仲裁者が強者によって地位や名誉、あるいはお金を握らせ られた時にどうでるかも考えられます。人はみな弱いものです。嘘の発言をして弱者の 潔白を踏みにじることもあります。それが私たち人間の世界です。私たちが弱者と強者 の仲裁者になった時に双方の言い分を正しく聞き入れることができるかどうかが問われ るところではないでしょうか。


 新約の時代に生きる私たちは、イエスさまが私たちと神さまとの仲裁者となってくだ さり、今も弱い私たちのためにとりなしてくださっておられるのです。これは、大きな 恵みであります。もしも、ヨブが新約の時代に生きていたらイエス・キリストを通し て、自分の潔白を父なる神に訴えることができたのではないかと思わされます。


 11 節の御言葉が大変心に響きました。


「神がそばを通り過ぎても、私には見えない。進んで行っても、気づかない。」


 どういうことかと言うと、辛い時ほど、見えない。しかし、本当はそばにおられる、 という。人間の弱さが神を見えなくさせるということです。自分もその経験をしたこと があるゆえにその御言葉はとても心に深く留まりました。


ハレルヤ!


主の御名を心からほめたたえます。


 このような弱い者のために、イエス・キリストを天の父なる神さまとの仲裁者としてくださったこと、そして、今も私たちのためにとりなしておられることを心から感謝しま す。私たちも人の仲裁者になった時にイエスさまのことを覚えて正しいことを述べることができますように助けてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈 りします。アーメン


 
 
 

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