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2025年2月26日 コリント人への手紙第二7章

  • hccnichigo
  • 2月26日
  • 読了時間: 2分

「神のみこころにそって悲しむ」(11)

 悲しみには、二種類あって、神のみこころに沿った悲しみとこの世の悲しみがあります。

「神のみこころにそった悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じますが、世の悲しみは死をもたらします。」(10)


 この箇所における神のみこころにそった悲しみとは、罪を認めた時の悲しみです。それは悔い改めに導くものになります。対して、この世の悲しみとは、罪を責めるだけで、そこ救いはありません。


 私たちは、聖霊によって罪が示された時には、その罪のゆえに悲しむのです。それはイエスの十字架のもとへと私たちを導く、つまり救いへと導くのです、しかし、この世がもたらす悲しみは、ただ後悔させ、自分を責めるように仕向け、そこに救いはありません。

 

 信仰生活において大切なのは、罪が示された時にどうするか?です。まずその罪が聖霊による示しなのか、この世の示しなのか、本当に悔い改めるべきものは、それとも拒否するものか、どちらかを判別することです。

 そして、もしそれが聖霊からのものであれば、私たちは十字架の元へと進み出て、主を仰ぎ見るのです。そこで罪の赦しをいただくのです。


 天の父なる神さま

 私たちが、罪に対して悲しむのは、聖霊によってなのか、この世によるものなのか、正しく判別し、正しく悔い改めることができますように。サタンの惑わしから守ってください。  

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン           

文:関真士

                    

 
 
 

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