top of page

2025年2月24日 コリント人への手紙第二5章

  • hccnichigo
  • 2月24日
  • 読了時間: 4分

『神の義となる』


 コリント第二の手紙の特徴は、偽クリスチャン、異端の教えが入り込んできたコリント教会へ、パウロ自身の使徒としての権威を改めて示しながら、本当のキリストの教えを伝える、教理を述べる所が、第一コリントの内容である、健全な教会を立ち上げなさいというメッセージとは、異なっている。ですから内容が非常に濃いのです。


 パウロの話は、難しいと思ったのは、私たちだけではありません。使徒ペテロは、ペテロの手紙第二 3章14節でパウロを評して「その手紙でパウロは、ほかのすべての手紙でもしているように、このことについて語っています。その中には理解しにくいところがあります。」ペテロでさえ理解しにくいと思ったのですから、ご心配なく


 さて、この5章では天の幕屋と地上の幕屋が比較されています。モーセが荒野で造るように命じられた幕屋は、主が愛するユダヤの民と一緒に住むために、天の幕屋のいわば模型として地上に幕屋をはって、その中の至聖所に臨在されたという考えで、同時に地上の幕屋は、私たちの地上の肉体であり、約束されている永遠の身体は天の幕屋と表現されています。確かに、ヘブル語で主が私たちと共に住むという言葉は、あなた方のうちに幕屋をはるという言葉なのです。ですから、地上でキリストを知って生まれ変わった私たちは、肉体の幕屋にいるものの、天の幕屋を着ている者となったのだから、17節「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と表現しているのでしょう。


 異端に対しては、17節抜粋「心ではなくうわべを誇る人」と表現しています。2章では、「サタンに乗じられないようにするためです」とも書かれています。この時代でも、今の時代でも教会に、うわべを誇る人たちが、混じってくることに違いはありません。もともと多くの人が教会に行こうと思ったきっかけは、自分の心が弱かったからではありませんか、サタンはその弱さに働きかけてくるようです。ですから、コリント教会には、パウロはキリストの本当の使徒ではないとか、ユダヤ人信者のなかには、単にキリストを信じるだけでは救われない、律法も守らなければならないとか、さらにはギリシャ哲学の影響なのか、グノーシス主義といって神は霊であるから、霊が一番大切なのであって、肉体を持ったキリストよりも、霊的な天使などを崇拝する教えなどが入ってきていたようです。私たちも田舎町である天草でも、異端であるエホバの証人の教会の方が、プロテスタント教会よりも新しく立派な建物があり、個別訪問で信者数を増やしていました。


 私たちは、どうやって異端、うわべを誇る人を見分ける事ができるのでしょうか。一つは、その人のなす行動に、御霊の実があるかどうかですが、根本的には、聖書の摂理に基づいているかどうかが肝心な点で、それには私たち自身が聖書を知らないと、振り回されてしまう事になります。実にサタンや悪霊の方が、私たちより聖書をよく知っていることを、主イエスの40日間の荒野の断食でも、サタンがみことばを使って、主イエスに近づいてきた事でも明白です。気を付けなければなりません。


 ですから、パウロは21節「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」私たち自身は、神の義となることなどいくら努力してもできない相談ですが、主イエスが私たちと聖なるまばゆい光である、父なる神の間に入ってくださって、私たちは主イエスの背に隠れることによって、私たちの罪が裁かれることなく、盾となって下さった主イエスによって、守られて、神の義とされたのです。


祈り

感謝です、主イエスに感謝です。 私たちの盾となり守ってくださり、父なる神との和解をするための仲介者となって十字架にまでかけられた事にこころから感謝しております。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月3日 テモテへの手紙第一3章

テモテへの手紙は、「牧会書簡」と呼ばれ、教会の歩みにおける具体的な勧めが記されています。  3章おいては、監督職に就く者の資質について、続いて執事に就く者の資質について記されています。この監督職とは、長老職、牧師職と重なる部分もありもあり区別が明確ではありませんが、教会におけるリーダーとしての立場であることは間違いありません。執事とは、おそらく教会の実務を担当する者たちであったと思われます。  い

 
 
 
2025年12月2日 テモテへの手紙第一2章

『人としてのキリスト』  このテモテへの手紙、牧会書簡は、パウロの牢獄からの最後の書です。愛弟子のテモテに、パウロ自身も頂いて、テモテへ伝えた福音を守り抜きなさいという命令の書でもあります。教会に集うすべての人々、身分も異なり、高い地位の人も、奴隷となっている人も、男も女もすべての人のために、祈り、とりなし、感謝をささげなさいと、この老いた、恩師であるパウロは、若いテモテに語っています。  4節「

 
 
 
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 

コメント


bottom of page