top of page

2025年2月20日 コリント人への手紙 第二1章

  • hccnichigo
  • 2月20日
  • 読了時間: 2分

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」ー4節ー


  今日からコリント人への手紙第二に入ります。1章でパウロは「神の慰め」について語っています。私が以前に苦しみにあった時に、どうして神は私にこのような苦しみを与えられるのかと悩み落ち込んだことがあります。誰もが経験することだと思います。だがパウロは、ここではっきりとその理由を述べています。


 私たちが受ける苦しみには神の目的があり、それは、私たちが神の愛と慰めを知るだめだと述べています。しかし、パウロはさらに語っています。苦しみはただ神の慰めを知ることが目的ではなく、神の慰めによって、他の苦しみの中にいる人々を慰めるためであると言っています。


 私たちは自分たちが苦しみにあった経験がなければ他者を慰めることはできません。ある牧師が語られたことに心が動かされました。

 「人は、いや神でさえも、苦しみにあうことなしに、他の人を慰めることはできません。慰めというものはそういうものです。自分が似たような経験をして、初めてその人の苦しみを共有することができます。それゆえ、苦しみはとても尊いものなのです。」


 自分が苦しんでいる時に、果たして、苦しみがとても尊いものであるということを受け入れることができるだろうかと思わされるところであります。そのようになるには、聖霊により、御言葉をしっかりと心にたくわえていただけるように祈っていくことではないでしょうか。


 教会で多くの人たちがそれぞれの問題、苦しみを持っておられます。パウロは、そのお一人一人の苦しみと慰めは教会全体のものとして、キリストにある希望につながると言っています。神がキリストを通して与えてくださるこの慰めによって、私たちも、苦難の中にある人を慰めることができると語っています。


 「慰めはただ神から受けることができる」ということは幸いです。自分が、神から受けた慰めを今、苦難の中におられる方々を慰めることができますようにどうぞ用いてください。そして、自分自身が苦しみにあった時に「苦しみにあったことは幸いだった」という御言葉を受け入れることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月3日 テモテへの手紙第一3章

テモテへの手紙は、「牧会書簡」と呼ばれ、教会の歩みにおける具体的な勧めが記されています。  3章おいては、監督職に就く者の資質について、続いて執事に就く者の資質について記されています。この監督職とは、長老職、牧師職と重なる部分もありもあり区別が明確ではありませんが、教会におけるリーダーとしての立場であることは間違いありません。執事とは、おそらく教会の実務を担当する者たちであったと思われます。  い

 
 
 
2025年12月2日 テモテへの手紙第一2章

『人としてのキリスト』  このテモテへの手紙、牧会書簡は、パウロの牢獄からの最後の書です。愛弟子のテモテに、パウロ自身も頂いて、テモテへ伝えた福音を守り抜きなさいという命令の書でもあります。教会に集うすべての人々、身分も異なり、高い地位の人も、奴隷となっている人も、男も女もすべての人のために、祈り、とりなし、感謝をささげなさいと、この老いた、恩師であるパウロは、若いテモテに語っています。  4節「

 
 
 
2025年12月1日 テモテへの手紙第一1章

『罪人のかしら』    若きパウロの熱情は、律法に燃え、クリスチャンは神を冒涜する者として徹底的に、彼らを迫害する者であったことを思い、自分は、本当の神であるキリストを、知らず知らずに迫害してしまった、私は罪人のかしらであったと告白しています。そして今はキリスト・イエスによって使徒となった。使徒は、弟子とは異なり、主イエスから権威を受け選ばれた者、弟子は主を先生として学ぶ者で権威はありません。  

 
 
 

コメント


bottom of page