2025年12月8日 テモテの手紙第二2章
- hccnichigo
- 2025年12月8日
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『教える者を集める』
私たちクリスチャンにとっての伝道が難しいのは、主の復活と再臨の希望を語ることではないでしょうか。私たちが、実際に目で見たこともなく、この世の理性に反する出来事である、復活や再臨を、まだ主イエスを信じていない者たちに、理路整然と語ることは大変なチャレンジです。
パウロは、愛弟子であるテモテに2節b「ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい」福音を教える力ある者を集めなさいと諭しているのです。自分一人の力には限界があります、特に年の若いテモテには、助けが必要と感じていたのかもしれません。しかし、ここには今の教会に対しての訓戒も兼ねているのかもしれません。熟年の信者の方々は、それまでの辛い経験から、主イエスの光を見て信仰の道に入って来られた方が多くおられて、自分にとっては苦難であった経験は、実は主の訓練であったことを証しできるのも、人生を長く歩んで来られた方の特権でもあります。パウロは、そのような苦難の経験を通ってきた強者、若いテモテのことを心配し、教会を導くには、福音を伝える力のある者を集めて委ねなさいと勧めているのです。
11節に「次のことばは真実です。「私たちが、キリストとともの死んだのなら、キリストとともに生きるようになる。」自分の中にある、自己中心の肉の思いを十字架につけてしまえば、自分の魂には、キリストの御霊が宿り、キリストをよみがえらせた力を受けて、キリストとともに生きるようになる。主イエスの復活、まず歴史的な十字架の事実を客観的に伝える。私たちの使用している西暦はAD2025年、これは、アノ・ドミノといって”主の年”の意味で、主イエスの十字架から数えている歴史的な事実に、目を向けること、そうして、この主イエスの十字架の意味を聖書の中から解説することが必要となるわけです。
歴史的、客観的な事実の中にある真実を解き明かす、これがパウロがテモテと教会に求めていることであると思います。しかし、教会の中には様々な異なった賜物を持っている人の集まりであること。20節には「大きな家(教会)には、金や銀の器だけではなく、木や土の器もあります。ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用いられます。」私たちはそれぞれの賜物に見合った用いられ方をされるということ、しかし、その奉仕には、愛する主イエスに喜んで頂こうとする意志がなくてはならないのです。義務にかられたり、無理やりの奉仕は、主イエスに喜んでいただくことはないのです。ですから続いて、 12節「キリストとともに王となる。キリストを否むなら、キリストもまた、私たちを否まれる。」と厳しいことも書かれているわけです。
祈り
どうか、私自身が、自己中心の思いを十字架にかけることができますように、御霊にきよめられて、主イエスに喜んでいただける、良い働きができる者として、主のみことばを理解する力を与えて下さい。アーメン
文:森 宗孝

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