top of page

2025年12月25日 イザヤ書15章

  • hccnichigo
  • 12 分前
  • 読了時間: 2分

「わたしの心はモアブのために叫ぶ。」5節(抜粋)

 

 イザヤ書15章はモアブについてのさばきの宣告である。

モアブは、死海の東側に位置する国で、アブラハムのおいのロトの子孫が住んでいたと言われています。モアブといえばルツ記のあのルツが関連します。ルツもモアブ出身でした。昔からイスラエルとは深い関係にあった国だと言われています。


 イザヤが預言者と活動していた紀元前734年に、アッシリヤが攻め寄せこの15章に書かれている悲惨なできごとがおこりました。それは、一夜のうちにモアブの町々が滅ぼされるということが書かれています。しかもアッシリヤだけでなくバビロニアにも攻め込まれたのである。考えただけでも恐ろしくなります。そして、モアブの人々は泣きながら南部の町々へ逃げていく様子が語られています。


 一夜にして自分たちの故郷が滅ぼされ、泣き叫びながら故郷を離れていくモアブの人々に対して、神はさらにわざわいを増し加えると言われるのである。神のさばきは止まりません。なぜそこまでと思わされることが旧約時代にはたくさんでてきます。モアブの人々に対してもそうですが、彼らは、悔い改めることをしなかったからです。神は、かれらに悔い改めることを強く求められていたのです。


 神は、モアブの人々の泣き叫ぶ声を聞かれていましたが、神ご自身も彼らと同じだったことが5節で述べられています。


「わたしの心はモアブのために叫ぶ」―5(抜粋)―


 私たちが悲しみ、苦しみの中にあるときは、主なる神も私たちと同じだということです。これが愛の鞭というものではないでしょうか。そのことは、私たちに強い励みになることです。忘れてはいけないことだと思います。そして、どんな時にも悔い改めることを怠ってはいけないということです。これは私たちクリスチャンの神髄の一つではないでしょうか。


 

 愛する天の父なる神様。今日は、イエス・キリストの降誕記念祭です。心から感謝してお祝い申し上げます。私たち全人類の罪からの救いの為に愛する御子を地上に与えて下さったことを、そして、私たちの罪からの救いの為に十字架で死なれたことを日々思いながら歩んでいくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月24日 イザヤ書14章

北イスラエル王国は、BC722 年にアッシリア帝国に滅亡させられます。続いてBC586年 今度は南王国がバビロン帝国によって滅亡させられます。ユダヤの民は、捕囚となってバビロンに引かれていきました。彼らは、国が滅び、奴隷となり、すべてを失ったのです。それは神に見捨てられたという事を意味していました。  しかし、神は民を見捨てることはなく、やがて捕囚から解放されて祖国イスラエルに帰還することができた

 
 
 
2025年12月23日 イザヤ書13章

『バビロンへの宣告』  イザヤ書を全体的に見ると、前半の’1〜39章は、神の審判、バビロン捕囚預言、悔い改めへの導きが中心で、これらはイザヤと同世代のユダヤ人達に語られています。そして後半の40〜66章には、イザヤの時代から200年後の将来のユダヤ神、捕囚にあって希望を失っている世代に対しての神の慰めが中心になっている構造であることを、覚えておきましょう。  今日の13章は、この神の裁きである、南

 
 
 
2025年12月22日 イザヤ書12章

『七つの呼びかけ』  このイザヤ書12章は、ユダヤの秋祭りである仮庵の祭りの中の、喜びの水取りの儀式で歌われるそうです。 仮庵の祭りは、エジプトの奴隷から救われて、荒野で神に導かれた時を祝う祭りですから、荒野で喉の渇きを訴えた民に、モーセが岩を打って、水が溢れ出たことを象徴している水取りの儀式で、早朝祭司と民は、音楽と共にシロアムの池から水を汲む時にイザヤ12章が暗礁され、神殿に戻る時には詩篇11

 
 
 

コメント


bottom of page