2025年12月24日 イザヤ書14章
- hccnichigo
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北イスラエル王国は、BC722 年にアッシリア帝国に滅亡させられます。続いてBC586年 今度は南王国がバビロン帝国によって滅亡させられます。ユダヤの民は、捕囚となってバビロンに引かれていきました。彼らは、国が滅び、奴隷となり、すべてを失ったのです。それは神に見捨てられたという事を意味していました。
しかし、神は民を見捨てることはなく、やがて捕囚から解放されて祖国イスラエルに帰還することができたのです。その時、「あなたは、バビロンの王について、このような嘲りの歌を歌って言う。」(4)という事が起こる事をイザヤは預言しているのです。
この預言の中で特に、12節~15節です。
「明けの明星、暁の子。どうしておまえは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてお前は地に切り倒されたのか。おまえは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山で座に着こう。南雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。」だが、おまえはよみに落とされ、穴の底に落とされる。」
これはバビロンの王ネブカデネザルのことを言っています。彼は高慢になり、神の上に立とうとしました。しかし神は彼を切り倒したのです。
この「暁の子」は、ルシファーと訳され、これがサタン(悪魔)を現わす言葉となりました。この12節~15節のみことばは、サタンのことを指していると解釈されることがあります。
この暁の子がバビロン王であれ、サタンであれ、高慢になり堕落した者の姿が記されています。
神の祝福を受け続ける秘訣は、一に謙遜、二に謙遜、三、四がなくて五に謙遜と言われます。高慢は、すべてを台無しにする破壊的な罪です。
私たちは、「天に上ろう」と言ってはならないのです。イエスは天から下って来た方です。天への上り道では、イエスに出会うことはありません。下りの道で出会えるのです。
謙遜とは、自己卑下でも、自己過信でもありません。神の御前にある真の自分の姿を知り、その姿をもって主の御前に生きることです。
天の父なる神さま
どうか私が、どんな時でも、謙遜であり続けることができますように。高慢になっていくときには、どうぞあなたからの御声をきいて、ひざまずき、悔い改めることができますように。どうか真の謙遜を与えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン 文:関真士

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