top of page

2025年12月22日 イザヤ書12章

  • hccnichigo
  • 12 分前
  • 読了時間: 2分

『七つの呼びかけ』


 このイザヤ書12章は、ユダヤの秋祭りである仮庵の祭りの中の、喜びの水取りの儀式で歌われるそうです。 仮庵の祭りは、エジプトの奴隷から救われて、荒野で神に導かれた時を祝う祭りですから、荒野で喉の渇きを訴えた民に、モーセが岩を打って、水が溢れ出たことを象徴している水取りの儀式で、早朝祭司と民は、音楽と共にシロアムの池から水を汲む時にイザヤ12章が暗礁され、神殿に戻る時には詩篇113~118篇が繰り返されたとされています。水の少ないイスラエルでは、日本の秋祭りのように、良き雨を降らせてくださいとの祈りもあったことでしょう。


 この水注ぎの儀式の最中に、主イエスは立って叫ばれました。ヨハネ7章37~38節「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水が流れ出るようになります。』」 この時の主イエスが目に浮かぶようです。しかしながら、今の世においても、自分自身で渇きを覚えていない者、自分の力でなんとかすると考えてしまっている者は、主を信じようとする気持ちが湧いてこないのも事実です。信じる者には、心の中から湧き出る聖霊に満たされることが現されています。


 この12篇には、七つの呼びかけがあります。 1節 主よ。感謝します。4節 主に感謝せよ呼び求めよ語り告げよ。5節 主をほめ歌え。 6節 大声をあげて 喜び歌え。

 主は私たちの背きに対して、怒られたのに、その怒りは去り、慰めてくださった。これがイザヤ書の語る、神のお姿ではないでしょうか。神の怒りを鎮めるためには、悔い改めが必要なのですが、それでも神はいつまでも怒りを持たれることなく、慰めの神であるとイザヤは私たちに伝えてくれています。


 ところで、自分達が小学生だった頃に、フォークダンスで「マイム・マイムの歌に合わせてフォークダンスをした思い出がある人はおりませんでしょうか? これは実にイスラエルのフォークダンスの歌で、”水だ、水だ、喜びをもって水を汲もう。水が湧いた、共に踊ろう”という内容だそうで、このイザヤ12章から出たフォークソングだそうです。マイムは水ということばです。今になってイスラエルの歌と知りました。


祈り

どうか私たちが喜びをもって、主ととも歌い、主からの慰め、聖霊が心の底から湧き出るように、感謝と喜びを大声をあげて、語り告げますように。アーメン 

文: 森 宗孝


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月21日 イザヤ書11章

「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。」1節 「その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、  主を恐れる、知識の霊である。」2節  イザヤ書11章は、神の支配される新しい時代、希望溢れる預言と言われています。 新しい時代は、エッサイの根株から生え出る新芽、「インマヌエル」と呼ばれる一人のみどり子によって実現するのです。  エッサイとは、有名なダビデ王の父

 
 
 
2025年12月20日 イザヤ書10章

神様はアッシリアを神様の裁きの道具として用いられた。神様は、アッシリアを神様を敬わない国に送り、滅ぼさせた。その手はユダにまで及んだ。それは、ユダの支配者たちによる罪があったからだ。アッシリアは神様の意図など知る由もなく、欲望のままに他国を滅ぼしていった。アッシリアにとって完全無敵と思えるその状況に、それは自分の知恵と力によるものと考えていた。そして、彼らは自分の知恵と力を諸国の民を貶めることに使

 
 
 
2025年12 月19 日 イザヤ書9章

「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられる。彼らは、刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜ぶ。あなたが、彼

 
 
 

コメント


bottom of page