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2025年12月13日 イザヤ書3章

  • hccnichigo
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分

 昔の自分を思い返すと、イザヤ書3章に出てくる「シオンの娘たち」と重なる部分があると感じます。外側の華やかさや、人からどう見られるかということに心が向いていて、流行や見た目に影響されていた時期がありました。その内側で満たされない思いや、神さまとの関係の大切さには気づけていなかったのだと思います。


 イザヤ書の中のシオンの娘たちも、外側の飾りや自由な振る舞いによって満たされると思っていたのでしょう。しかし神さまは、それだけでは心は守られないこと、やがて痛みや荒れた現実が訪れることを示されました。飾りを失い、力を失っていく彼女たちの姿は、神さまから離れた心がもたらす悲しみそのものに見えます。


 そして26節にはこうあります。

「シオンの門は悲しみに嘆き、さびれ果てて地の上に座す。」


 神さまから離れ、自分の力や外側の飾りに頼ると、心の「門」は次第に荒れ果て、力をなくしてしまうような状態を表しているように感じました。


 どれだけ外側を整えても、内側が神さまに守られていなければ心は崩れてしまいます。自分自身の中にも何度もありました。外側だけを取り繕っても心は疲れ、ふとしたときに孤独や空虚さを覚える。それなのに、そんな時ほど神さまの導きを横に置いて、自分の力で何とかしようとしてしまうのです。


 それでも神さまは、弱さの中にいる私を見捨てずに、そっと手を差し伸べてくださいます。外側の飾りがなくなり、弱さや孤独がむき出しになるところこそ、神さまが心を立て直してくださる場所なのだと、改めて気づかされます。


愛する天のお父さま

 私の心が弱り、疲れ、孤独を感じる時でさえ、見捨てずに手を差し伸べ、立ち上がらせてくださることを感謝します。 外側に頼って弱さを隠そうとする私を、神さまは内側から見て、愛し、導いてくださいます。どうか今日も、私の心の門を守り、平安で満たしてください。 悲しみの場所を喜びに、荒れた場所を回復へと変えてください。

 イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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