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2025年12月12日 イザヤ書2章

  • hccnichigo
  • 20 時間前
  • 読了時間: 2分

 イザヤ2章が書かれたこの時代、イスラエルは南北に分かれて、偶像礼拝が蔓延っていた。南ユダに仕えた祭司イザヤが神様から預かった言葉を民に伝えている。


 昔日本で、初めて電車に乗った頃、「上り線」は東京に向かう方向、そして「下り線」は東京から離れて行く方向だと学んだ。このオアフ島では上りや下りはないが、ダイヤモンドヘッド側(東)なのかエヴァ側(西)なのか、そしてマウカ(山側)なのかマカイ(海側)なのか、方向を示す言葉がある。


3節「多くの民族が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。」


 神殿がある神様の山に上り御言葉を学ぼう、と教えている。

一番気になったのは、この章最後の聖句である。


22節「人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何の値打ちがあるか。」


 人の言葉、権威、富、偶像に頼ることをやめよ、と言われている。


 自分は人の意見に左右され安い弱い人間である。

 決断の岐路に立たされた時、人に相談したり、権威ある人の評価を気にしたりする。


 ただ 決めるのは自分である。このような岐路に立たされた時、神様への「上り」方向に向いているかを再考したい。


天の父なる神様、

 イザヤ書が書かれた約3千年前、イエス様はまだお生まれではなかった。あなたは、御子を犠牲にしてまで、私のような弱い人間を救って下さいました。恵みの時代に感謝でいっぱいです。それでも、時々イエス様がいないかのようにふるまってしまいます。どうか神様への「上り線」から脱線しないよう、日々導いて下さい。主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン

文:マッカーター政子


 
 
 

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