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2025年11月25日 雅歌3章

  • hccnichigo
  • 5 日前
  • 読了時間: 2分

『花嫁と花婿』


 聖書には、父なる神とイスラエル民族は、夫と妻と言い表せていると考えられる、そして主イエスと教会(信者)は、花婿と花嫁という関係だと思うのです。その根拠は、IIコリント11章2節「私は神の熱心さをもって、あなたがたのことを熱心に思っています。私はあなたがたを清純な処女として、一人の夫キリストに献げるために婚約させたのですから。」そうして、このような視点で雅歌を理解したいと思います。しかし、主イエスを、愛の詩である、雅歌の中から想像するのは、自分にとっては至難の業で、とても難しいことです。


 この3章は、花嫁となる女性が夜中に夢をみているようなイメージのようです。花婿が見つからないのです。なんとなく、花嫁が花婿を探し出すというのは、本来の逆の話に思ってしまいます。通常は花婿が花嫁を探しまくるという設定ではないのかなぁと思っていると、昔見た映画、ダスティー・ホフマンが

結婚式に乗り込んでいって、本当に愛している花嫁を奪って、二人でバスに乗って逃げるシーンを思い起こしました。


 6〜7節に、ソロモンの乗る輿が荒野から上って来る、投薬が乳香、あらゆる香料と描かれている所は、主イエスの誕生、東方の博士たちが持ってきた没薬や乳香の話を思い起こさせます。救い主として生まれてきた主イエスは、神殿やエルサレムとは全く疎遠の、荒野からダビデの町、家畜小屋で誕生されたのですね。 何という神の知恵なのでしょう。 


 ヨハネの黙示録19章9節では、子羊の婚宴が描かれています、花嫁は用意ができた、花嫁は輝くきよい亜蓑布をまとうことが許された。その亜蓑布とは、聖徒たちの正しい行いである。9節「御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ。と書き記しなさい。」と言い、また「これらは神の真実なことばである。」と言った。


この婚宴は、天上で行われている子羊イエスとの喜びの婚宴式です、思えばヨハネの福音書で最初の主イエスのしるしは、カナの婚礼でした。私たち信者は、地上では天災、患難時代を迎えて、苦しみの時代を通っている間に、天上にすでに招かれていて、主イエスと共に婚宴の式に、喜びのワインを飲む姿をここに見るのです。


祈り

この雅歌、一見読むと恋物語の詩には、主イエスが示されているのですが、自分にはなかなか見えないのです。どうか理解できるように導いてください。アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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