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2025年11月24日 雅歌2章

  • hccnichigo
  • 6 日前
  • 読了時間: 3分

『私の愛する者』


 この雅歌、人の愛が散りばめられた詩が、どのようにして霊感に満ちた、旧約聖書に取り入れたのでしょうか。 ヘブル民族が律法を重視して生活の基準として生きる上で、雅歌がどのように理解されていたのだろうかと不思議に思うのです。 単なる恋愛文学作品ではないはずです。多くの神学者は、雅歌の求婚は、霊的に救い主と信者の集まり、今では、教会への熱烈な愛を示すと言われています。そのような視点に立って、私たちの愛する神は、人間の言葉にすれば、熱情の愛であり、他の神々、偶像礼拝をしたようなら、妬む神であると聖書は語っています。


 参考までに、エペソ5章25〜26節と32節を見てみましょう。「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり。」 32節「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。


 雅歌に戻り、2章では、ソロモン王の恋するレバノン山のふもとで出会った美しい娘シュラムへの、求愛、彼女は谷間のゆり花のように優雅で美しいと描いています。私は愛に病んでいるからですと、愛の告白があり、10節「私の愛する方は、私に語りかけていわれます。「わが愛する者、私の美しいひとよ。さあ立って、出ておいで」これが、主の熱情の愛につながっているのでしょうか。私たちのような罪人をどこまでも愛してくださる、すべての犠牲を払っても、ご自分の近くに呼び寄せたいという思いが、きっと私たちに対する神の愛なのでしょう。


 自分が妻と出会ったのは、すでに47年前の東京でした。アメリカ人の友人が勤める英会話学校が主催のスキーバス旅行に、人数が少ないので、お前も一緒に来るかと誘われて、集合場所に行った時に、妻を見かけたのです。そして猛烈なるアタックで、約4ヶ月後には結婚式となった思い出があります。まさに谷間のゆり、愛する美しい人のためには何でもするという求婚でした。そのような人間の気持ちが、主イエスの信者に対する、教会に対するお気持ちに近い思いなのでしょうか。


 ヨハネの黙示録21章の新天新地の場面で、9節b〜10節「ここに来なさい。あなたに子羊の妻である花嫁を見せましょう。 そして御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行き、聖なる都 エルサレムが神のみもとから、天から降って来るのを見せた。」この新しいエルサレム、主イエスを信じる者たちの集まりであるエルサレムは、教会と言っても良いかもしれません。それは子羊イエスの妻であると聖書は記しています。


祈り

私たちが、子羊イエスの愛される者とされていますことに感謝いたします。自分自身の評価では、決して谷間のゆり、良い香りをはなつ者とは到底思えませんが、それでも主が全き愛をもって、見てくださっておられることに感謝致します。 アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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