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2025年11月12日 伝道者の書2章

  • hccnichigo
  • 1 日前
  • 読了時間: 2分

「わたしは、心の中で行った。『さあ、快楽を味わってみるがよい。楽しんでみるがよい。』しかし、これもまた、なんと空しいことか。」(1)


 4節から8節に記されているように、ソロモンは栄華の限りを尽くしました。おおよそ人間が求めるすべての欲求を満たしました。物欲、性欲、食欲、名誉欲、知識欲、さらに知恵…。「そして私は偉大な者になった。」(9)と告白しました。


 しかし彼は告白します。

「見よ、すべてが空しく、風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。」(11)


 この伝道者の書は、虚無主義を謳う書なのでしょうか。あるいは快楽主義なのでしょうか。そのどちらも違います。

 この書の最後の結論に記されているのは「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(12:13)ということです。


 神を見失い、まるで神がいないかのような人生においては、すべてが空しいのです。人間は神から離れるとき、虚無に陥るしかなくなるのです。結局、自分の人生に、神がいるのかいないのか。正確には、神がいることを認めるか認めないかです。


 神と共に歩む人生は、この空しさからの自由です。真に満たされた人生とは、神と共に生きるときに与えられるものです。


 天の父なる神さま

 神がいない世界、考えるだけで怖ろしいです。神が今も、そしてこれからも私たちと共にいてくださることを感謝します。

 あなたは、私の空しい心を、あなたの愛で満たしてくださいました。あなたこそ、私たちのすべてです。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン                                                   文:関真士


 
 
 

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