2025年11月10日 箴言31章
- hccnichigo
- 3 日前
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『バテシェバ』
ダビデ王の姦淫相手であるバテ・シェバの人柄ついては、聖書はあまり多くは語っていないので、想像するしかないのですが、サムエル記第二11章に、ダビデ王が王宮の屋上から、からだを洗っている非常に美しい女性を見たところから、始まり、彼女が妊娠したことをダビデ王に告げる。悪妻説では、彼女がわざとからだを洗っている姿を見せたのではないか、と言う説と、いやいや、この時代では、王の命令は絶対で、断ることはできない状況であったとの解釈の方が妥当かもしれません。そして列王記第一1章では、ダビデ王の世継ぎのことで、預言者ナタンに助言をして、ソロモンを王として迎えるように手配した姿を見ると、彼女の賢さに気づきます。
なぜこのバテ・シェバの話をしているのかと言うと、箴言最後の31篇の1節で、誰がこの箴言の著者なのか、2説あるのです。「マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば。」これがソロモンであったという説と、別の地域の王とする説ですが、レムエルというヘブル語は、神のための者という意味で、マサは、託宣とも重荷とも読めるので、自分は、すべての流れから、これは、ソロモン王であったとしています。そうすると、ソロモン王が母である、バテ・シェバから受けた戒めのことばとなるわけです。
2節「あなたの力を、女たちに費やしてはいけない。王を滅ぼす者たちに、歩みを委ねてはいけない。」はっきりと母から戒めを受けているのに、ソロモン王は妻が7百人、側女が3百人いたとあります。
それが、王を滅ぼす原因ともなったのです。バテ・シェバは自分のことを、脳裏において戒めを語ったのかもしれません。10節「しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。」12節「彼女はその一生の間、夫に良いことをし、悪いことをしない。」20節「苦しむ人に手を差し出し、貧しい人に手を差し伸べる。」そして30節「麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」恐らく、自分のことを思いつつ、最初の息子を打たれてしまった悲しさもあったのでしょう。
最愛の息子ソロモンに人生の忠告をした内容が、この最後の31篇、しかし、姦淫という罪は、主が決して赦すことのない罪でありますから、ソロモン王が、母の忠告に反して、政治的結婚から始まって、異教の神々がエルサレムに持ち込まれ、王国を滅ぼす結果となってしまった歴史は、罪の根深さを語っているのかもしれません。
祈り
私たちも、心から主を恐れる者でありたいと思います。まず何よりも求めるのが、神の義であるならば、罪の裁きがあることは明白です。しかし、私たちには十字架で私の罪の身代わりになってくださった、主イエスがおられることで、恐れはありますが、悔い改めの赦しの道が開かれたことに感謝致します。
アーメン
文:森 宗孝

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