2025年10月8日 Ⅱテサロニケ人への手紙 1章
- hccnichigo
- 10月8日
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『天国の希望』
「神にとって正しいこととは、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。」(6~7節)
使徒パウロが『テサロニケ人への手紙第二』を記した目的の一つは、迫害のただ中で苦しんでいる兄弟姉妹を励ますためでした。1章4節には下記のように書かれています。「ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。」 当時テサロニケ教会の兄弟姉妹は、大変な迫害に苦しんでいました。この迫害に苦しんでいる兄弟姉妹を、パウロは終末論を記すことで励ましました。終末とは、世の終わりのことです。
世の終わりには、イエス様はすべての人の目に見えるお姿で再臨されます。その時にすべてのクリスチャンはイエス様の御許に引き上げられ(携挙)、朽ちることのない栄光の体に変えられます(第一テサロニケ4章13~18節)。そして、全ての悪しき者は裁かれます(黙示録20章11~15節)。この裁きから逃れられる人は誰もいません。滅ぶべき人すべてが地獄に入れられます。そして、もろもろの悪霊の頭であるサタン(悪魔)も永遠の滅びに入れられます(黙示録20章10節)。
そして、私たちクリスチャンは、永遠の安息である天の御国に入れられるのです。
「また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。『見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から 涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである』」(黙示録21章1~4節)
私たちの人生は、この地上で終わるのではありません。天国(神の国)が私たちの帰るべき本当の実家です。ですから私たちは、天国信仰をしっかりと持って生きることが大切です。神の国を喜んで待ち望むことは、この世の苦難を乗り越える力です。あなたは、素晴らしい場所に向かって進んでいます。私たちのゴールは神と顔と顔を直に合わせて生きる、喜びと感謝にあふれる平安な国です。そこでは、あなたの地上での全ての労苦が報われます。
「しかし、実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです」(へブル人への手紙11章16節)
文:吉田文人

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