2025年10月4日 Ⅰテサロニケ人への手紙2章
- hccnichigo
- 10月4日
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「むしろ私たちは、神に認められて福音を委ねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせるのではなく、私たちの心をお調べになる神に喜んでいただこうとして、語っているのです。」(4節)
パウロは、迫害や困難の中でも諦めずに福音を語り、それも「人の評価」ではなく、「神に喜ばれること」というのです。 そしてへつらいのことばや貪りの口実を設けずに、子供たちを養い育てる母のような優しさで仕えたとあります。
私自身を振り返ると、いつのまにか「どう見られているか」「人からどう評価されるか」を気にして行動や言動を選んでいることがあります。特に母の介護をしているとき、関わる医師、看護師、ケアマネ、デイケアのスタッフなど、その方々の目を意識している自分がいるのです。 正直、もし周囲の目が全くなかったら…ニュースで見るネグレクトやDVのような事態にならないという自信は…ないかもしれません。(笑)
でも、この気づきは、私の弱さを知るだけでなく、神さまが私に何を求めておられるかを教えてくださいます。介護も普段の生活のなかでも、「人に見られているからする」のではないということ。私の行いを神さまの前に正直に出すことによって、神さまは私の心の奥を探り、行いを純粋にしてくださる方だと思うのです。
また、パウロはだれにも負担をかけないように、夜も昼も働きながら、福音を伝えたとあります。無償の愛のように、お金や物を与えるのではなく、時間や優しさ、労力を惜しまず差し出すということを学びます。
母の介護も、その一つだと思います。そこには、誰かの承認や感謝を求めるのではなく、神さまがいつも見ていてくださるからこそ続けられるという思いがあります。神さまに喜ばれることを願って仕える時、その差し出された思いや行動の中に、神さまの愛が映し出されるのだと思うからです。
愛する天のお父さま
私の心を探り、私の行いをきよめてください。人の評価や承認よりも、あなたが喜ばれることを選べるようにしてください。 母の介護においても、周囲の目に左右されず、あなたの愛を土台として仕える力をください。 私の弱さを隠さずに御前に出し、変えられる喜びを味わえますように。 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

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