2025年10月31日 箴言21章
- hccnichigo
- 10月31日
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『救いは主による』
ガザでの和平交渉が成立したかに見えたものの、イスラエルとパレスチナとの争いの根は深い、ウクライナとロシア、北朝鮮の脅威と中国の覇権主義にも脅かされて、日本も今の平和を維持できるだろうかと心配になる今日この頃です。 この箴言の31節「戦いの日のために馬が備えられる」とあるように、いざという時に国を守る武器を十分に用意することは、それぞれの国の指導者たちが、自分達の責任と考えざるえない現状です。
ところが、聖書は私たちは闇の中に住んでいることを気づいていないと語ります。30節「どんな知恵も英知も、はかりごとも、主の前では無きに等し」 10節「悪しき者のたましいは悪事に憧れ、その目に隣人のあわれみはない。」どのように国を守りたい、自国民を大切にしようと愛国心に燃えても、本当の救いは主からくると記されています。
聖書には、偽預言者がたびたび登場します。私たちは往々にして、彼らは悪者であったとレッテルを貼ってしまいがちです、ところが実際には、彼らは大変な愛国者だったことが分かります。例えば、アモス書で、アモスに対抗するベテルの祭司アマツヤが、アモスに対して(アモス書7章13節)「ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の宮だからだ。」とイスラエル王ヤロブアムにも、アモスはあなたに謀反を企てていますと進言するのです。祭司アマツヤは、尊敬されていた愛国者でありました。しかし、偽預言者は、まず自分の国の事、国王の意志を第一に考えていて、父なる神のことは二の次だったのです。偽預言者は喜ばれ、逆に神の裁きを告げる預言者は迫害されました。神に従うか、人に従うか、ここに本物の預言者と、偽預言者の違いがあります。
このように、正しい者、主の救いを語る箴言ですが、なかなかユーモアにも溢れています。9節「争い好きな女と一緒に家にいるよりは、屋上の片隅に住むほうがよい。」19節「争い好きで、苛立つ女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。」ここは、女性でしたら、女を男に言い換えてみたら良いかもしれません。 なんとなく、うなずきたくなる言葉ですが、どのようにして、この節が、正しい者と悪者の対比の中でつながっているのか、不思議な言葉が、ポロリと出てきたのでしょうか。これもソロモンが著者であるとすれば、数多くの政治結婚で増えた妻たちに対する思いが、思わず現れたのでしょうか。
祈り
どうか、私たちがこの世において、ただ単に戦いの日のための用意をするのではなく、希望の福音を代わりに準備して、主による救いを伝え続ける事ができますように。偽預言者に惑わされないように、主が導いてくださいますように。 荒野にすむよりも、やはりSweet Homeに住む喜びで満たしてくださり感謝します。 アーメン
文:森 宗孝

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