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2025年10月20日 箴言10章

  • hccnichigo
  • 2025年10月20日
  • 読了時間: 3分

『正しい人と悪しき者』


 悪しき者とは、神の戒めと啓示を受け入れない者、自分自身の判断で、自己中心に物事を進める者は、愚かな者となってしまう。いかに学識があって、この世において、尊敬されていようとも、人の価値は、その者が神が示された知恵を如何に受け止めたかによって決まる、確かに神の光を心に見出した者の生涯は、その時には見えないが、歴史のなかでも光輝いている。人生の実験によって初めて知る神の啓示、心に素直に受け入れられる者が正しい人と示されている。


 神の啓示を知ることは、そう簡単にできることではないと思う。心から求めみことばを学び、これを咀嚼、食べて自分の栄養として、祈り求めて受け取るものではないだろうか。祈りは神を変えず、人を変えると読んだことがある。


8節「心に知恵のある者は命令を受け入れ、無駄口をたたく愚か者は滅びに落ちる。」 

 厳しいことばです。さて先日の男子会で、善行を重ね、隣人を助け、奉仕の精神をもって生きている者なのに、主イエス・キリストを知らないというだけで、さばきにあうという、みことばは納得できないという話がでました。確かに、救いに関する難しい課題で、はっきりした答えは無いのですが、善行を重ねた人、奉仕をした行為は、この世の人と人との間の出来事です。しかし、聖書は神と人との関係を問いているのです。ですから、この世の中で、どのように善行を重ねても、神との関係が回復されているとは言えないのです。


 父なる神が、神の御子をこの世に送られたのは、世を裁くためではなく、この世を救うためでした。しかし、この御子までも信じない者、信じられない者はすでに、さばきの座に立つ事が聖書に示されています。その時に、その人の生まれてからのすべての事が書物にあって、その行いといのちの書に名前があるかどうかで裁かれると黙示録20章にあります。主イエスを信じた者たちは、このいのちの書に名前がありますので、さばきにあうことはないという教えであります。


 30節「正しい人は永遠に揺るがされることがない。しかし、悪しき者は地に住むことができない。

ですから、私たちクリスチャンは、この世でまだ、主イエスを知らない者、福音を聴いた事のない人々に、御子イエスの教えを伝え続け、神との関係が修復され、この世の終わりに、さばきの座に立つ事がないように、救いのみことばを伝えることが求められています。


祈り

 どうか自分自身が悪しき者となりませんように、主の戒めを求め続け、祈りと悔い改めによって変えられて、さばきの座に立つ者となりませんように。主イエスへの愛によって、救いをうけますように

アーメン 

文:森 宗孝


 
 
 

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