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2025年10月19日 箴言9章

  • hccnichigo
  • 3 日前
  • 読了時間: 2分

「嘲る者を叱るな。彼があなたを憎まないために。

 知恵のある者を叱れ。彼はあなたを愛する。」8節


 8節の御言葉が心に留まった。叱る時には相手をよくみて行動することのように思われます。例えば自分の幼い子供たちに叱る時は、親として子の成長のために叱咤激励の愛をこめて行動をします。しかし、人を嘲る悪者を叱っても彼らにはきく耳をもっていないから、逆に彼らから攻撃されるのが日常茶飯事のことだと思います。悪く言えば見て見ぬふり、聞いても耳を閉ざすことでしょか。


 確かに現代的に言えばそうなりますが、聖書的な解釈はそういうことではありません。相手に愛と許しをもって接する、ということです。どういうことかといいますと、相手を改めさせるというよりは、自分自身の心のあり方を問う教えだと言われています。


 イエス様の教えはどうでしょうか。

 イエス様が十字架を担いで歩いていく道々で、会衆から嘲られ、血をながされてもなにも言いませんでした。十字架上で人々を見て天の父に「父よ彼らをゆるしてください。」と叫ばれたのです。それは、私たち一人一人への心に問われる教えを示されたことだと思います。イエス様の教えは、嘲る者を叱るよりも逆に愛と許しをもって接していくことだと言われています。愛するわが子が会衆の前で他者から嘲られた時に果たして、親としてその人を叱らずにおられるかどうかということが問われます。


 知恵のある者を叱れ。

 私たち人間が成長していくことに欠かせないことではないでしょうか。知恵のある者を叱っても復讐されることはありません。知恵ある者は叱られることによってそこからますます自分自身に磨きがかかって良い結果を生み出し、叱った人を愛することができるのだと思います。叱られている時は、理解できませんが達成した時に初めて愛することにつながっていくのだと思います。そして、知恵がますます増し加えられていくのです。



 天の父なる神さま。

嘲る者には叱ることなく、愛と許しをもって接していくことができますように。そして、知恵のある者への叱りには愛と知恵が増し加えられていく成長を教えてくださって感謝します。どうぞ、その教えを日々の糧に用いることができますようにお祈りします。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


 
 
 

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