2025年10月13日 箴言3章
- hccnichigo
- 10月13日
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『わが子よ 知恵を知れ』
自分の母が亡くなってしばらくしてから、姉達との会話の中で、生まれて初めて母が長崎で洗礼を受けていた事を知った。子供の頃に、母と一緒に教会に行くことも無かったし、家では全く、宗教色が無かったので、大変驚いたものだ。しかしながら、母からのことばを思い起こすと、なるほど聖書の匂いがした。クリスチャンの家庭に育った子供たちは、幼い頃から主のみことばを教わって育つ、大切な宝を心に植えてもらう。1節「わが子よ、私の教えを忘れるな」 自分が、クリスチャンで無く、若い親であった頃を、思い出すと娘達に何も主のことばをシェアーしてあげられなかった、しかし自分の代わりに妻が、教会に連れていき、みことばを幼子に伝えていた事を思い起こし、今更ながら妻に感謝しています。きっとクリスチャンの親を持つ子供は、幼い時から、知恵を学ぶ喜びを知るのでしょう。ですからこの、1節は、私の教えというよりも、主からの教えを伝えたことを忘れるなでありましょう。
教会で毎週読むこの箴言9〜10節抜粋「あなたの財産で主をあがめよ、そうすればあなたの倉は豊かさで満たされる」そして16節「知恵の右手には長寿があり」と豊かさと長寿の約束があるのは、決して私たちが、生活をEnjoyするため、地上の命を楽しむためではなく、その人生をもって、神と人とに長く仕えるためであることを忘れてはならない。主から恵みを受けるのは、溢れる恵みをもって分け与えるためである。
そうして、人の知恵には限界があり、永遠の真理である神の知恵を理解することは、出来ないが、人の知恵をもって、神の知恵に応じることはできる、それが私たちの道徳となってゆく。7節「自分を知恵のある者と考えるな。主を恐れ、悪から遠ざかれ。」神は傲慢な者を遠ざける、21節「わが子よ、見失ってはならない。知性と思慮をよく見守れ」 主に拠り頼め、主を知れと願うのは、どの時代でも親心ですね。
祈り
正しい人の住まいは、主が祝福されるとあります。どうか主の道を、間違わずに歩む者となり、主の恵みを多くの者と分かち合える心をくださいますように、主が、この世の数々の罠から救ってくださいますように願い続けます。 アーメン
文: 森 宗孝

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